kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

形而上の能力差

誰でも知っているようにクラッシックという音楽ジャンルがある。
大学時代以来持ち続けてきた小生の疑問は、
これはポピュラーなものよりも何らかの意味で優れているといえるのか?
というものであった。


何を当たり前のことを言っているのだ、と多くの音楽ファンは思うに違いない。
絶対音感のようなお気楽、お手軽な指標ではないところで、
どうやってそういった違いの存在を「知る」、「計測」することができるのか。


で、先月だったか、(アメリカの)保守的教育論を読んでいて、
なるほどと思った記述がある。それは
「どんなに教えても、ハ長調ヘ長調、あるいはロ長調の響きの違いがわからない人がいる。
そういう人には、究極的な高い音楽の創造は期待できないだろう」
というものだった。



実に情けないことだが、正直なところ、
小生はどの調律であっても、別段の違いは感じない。
適当に移調しても、それに違いは感じないし、純正律でも平均率でも、
響きは同じだと適当に感じてきた。
しかし考えれば、これは間違いであることは間違いない。
調による違いは多くの作曲家にとって、
無視できない重要な響きの違いを持っているからこそ、
作家たちは調を指定してきたのだ。


同じことだが、多くのフーガを聞いていると、
主題のあれやこれやの変形の繰り返しで、
それらがひじょうに似ているので、
口であれピアノであれ再現するのがとても難しい。
だが、そういったことはポピュラーな音楽ではありえない。


おそらく、これに限らず技巧面ではもっと違いがあるのは間違いないが、
とにかく、なるほど、ソルフェージュなどの訓練に明らかなだけでなく、
多くのカノンをきくだけでも、音楽というものの精妙さが
人によって異なることは間違いないのだろう。