kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

善と悪の判断モジュール

今日はたまたま義理の姉夫婦とその息子がきたので
うちのチビたちは大喜びだ、喧嘩しながらも遊んでもらった。


さて、小生はといえば、politically incorrect guide (PIG) シリーズの
"Capitalism"を読んでいた。
その前は、シカゴ大学教授のJohn Lott Jr. の"Freedomnomics"を読んでいた。


この手の市場礼賛はシカゴ学派、あるいはオーストリア学派の特徴であって、
これまで自分も繰り返してきたのだが、きょうは特に、
つまるところ「善と悪」というカテゴリーのほうが人々にわかりやすいのことが実感された。


多くの自由市場による解決は政府規制よりもいい結果をもたらすが、
それを理解するには、実例と、その背後に生じる現象の論理を理解する必要がある。
反面、直観は簡単だ。
政府はその意図において「慈善的」であるのに対し、市場は「儲けるため」だ。
この意図の違いが、やはり人々の認知に影響せざるを得ないのだろう。


これはマンデヴィル以来300年近く続く「直観vs論理」という図式にも
翻訳できるかもしれない。
スミス以来、多くの経済学者が市場の効率性を説いてきたが、
市場は本質的に利己心によって運営されている。
反面、政府は結果としてはともあれ、原初の意図においては善意であるだろう。
少なくともその「道徳的な正しさ」について、疑いを持つ政治家はいない。
これが我々の、「善悪判断モジュール」に訴えかけて、
全般的な政府活動を支持するのだ。



うーん、、、、とすると、これを反証するのは、 
プラトン的な賢人政治が民主主義よりも劣ることを証明するのと
同じか、それ以上に難しく、時間がかかりそうだ。