kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

それは「本当に必要」なのか?

小生は昔からモノマガジン系の雑誌が好きで、よく読んできている。モノマガジンは覚えていない前からあったように思うが、確か25年ほど前からはダイムとかも好きになっている。さらには日経トレンディや、最近の雑誌にはGet Naviとかもあるのだが、こういった雑誌はモノへの愛着や造詣があまりなくて、たんなる新製品写真集、みたいになっているので、あまり買ってまで読もうとは思わない。とはいえ、小生は金銭的に余裕が昔からないので、あまりモノは買わないで、「こんな商品があったらどんなに生活が変わるだろう、ワクワク」みたいな感じで、想像するのを楽しみとしているタイプなので、内需拡大には役だっていなさそうだ。


ところで、昔からいろいろな本を読んでいると、「私は本当に必要なものしか買いません」とかいうような意見がある。あるいは、精神論として、エコロジーの観点から「必要なものだけを買う」という発想がある。たとえば、「通販生活」という雑誌に書いてあるような、やや偽善じみた感じになっているのが典型的だ。とはいっても、むろん小生もそういった感覚に全然共感しないというわけではない。例えばMEN'S EX なんかを読んだりすると、常識よりも1ケタ高い製品のオンパレードだが、「それって、オシャレとかいうより、単なる自己顕示欲からの拝金主義というものでしょう!」と批判したくもなる。



さて本題に戻ると、小生はいつも考えてしまうのだが、「本当に必要なものなど本当にあるのだろうか?」 例えば小生がモノマガジンで見て、これから買おうとするアウトドア用の特殊素材でできたパダゴニアの服が「本当に必要なのか」と考えてみる。小生がすでにもっている、おそらく20枚程度のシャツの数があれば、おそらくあと20年ほどは、(外見はボロになっていくだろうが)保温機能については問題なさそうだ。少なくとも小生の職業生活の続く限りでは、これ以上の服飾製品はいらないと思う。靴もしかり。あるいはパソコンにしても別に5年は壊れないだろう。よく考えるまでもなく思い当たるのは、さらにパソコンで実行している、ブログの更新やほとんど無意味な研究などなど。こういったすべての小生の活動なども、全部「本当に必要なもの」などではない。


おそらくソクラテス的に対話をすると、2,3枚の普段着ぐらい以外には、本当に必要なものなんかないはずだ。本も読まず、映画も見ない、スポーツも旅行もしない生活は、エコロジカルかもしれないが、文化的でないことは間違いない。どんな商品にだって、デザインなどがあり、それはやはり文化の不可欠の一部分だといえるからだ。生存に不可欠なこと以外は誰も何もしなければ、なるほどエコロジカルで禁欲的だが、それが人間らしい生活だとは到底言えない。しかし、どこまでが人間らしい文化の一部で、どこからが不必要で、無駄なものなのか?



むろん小生はこのことについて、深ーーく悩んでいるというというわけではない。だが、おそらくかなり頻繁に考えていることも間違いない。当然、この問題はすでに否定的な解題がある。「The Machinery of Freedom」の中で、D. Friedmanは「必要necesarryは存在しなくて、欲望wantがあるだけだ」と鋭い指摘をしているし、純粋に哲学的に分析すれば、間違いなくその通りだろうだと理解している。小生がここで、このブログの読者に向かってフリードマンの分析を繰り返すことに意味があるとは思われない。


小生が言いたいのは、つまり、またしても、「人間の認知活動では、物事の程度を連続的に数値化するよりも、白黒の二分化するほうが思考にあっているのだろう」ということだ。「欲しいもの」と「必要なもの」は常に連続しているが、それを連続していると考えるよりは、どちらかのものだと分けて考えるほうが容易なのだろう。(これに関連して、小生は法律の二分化主義には長い間理解が不能で困ってきたが、経済学のように効用を連続的にとらえる考えは圧倒的に納得してきた。)これに、ある種の禁欲精神が加わって、欲しいものは我慢して、必要なものを買いましょう、という表現が生まれるというわけだ。


もちろん小生は一般論として、消費しないのがいいとか、悪いとかそういったことを一般的に論じるのは、まったく意味がないと思っている。実際のところ、ある時にはある種の禁欲性にも精神論として共感できるし、あるいはある時にはスタパ斎藤のような消費のヘドニズムにも共感するというお気楽ものだ。それで、確かにいろいろなモノの記事を読んで物欲をそそられてしまうことはときどきあるが、そういうときには「本当に必要なのか」と考えてしまったりする(苦笑)。結論はもちろん例外なく Noでしかない。なので、今日も僕は空想の中で楽しむだけということになってしまう。


しかし、そもそも「必要なもの」だけ買って生きている人なんて、どっかにいるのだろうかなぁ?うーん、あるいはシンガー教授はそうなのか?疑問は深まるばかりだ。