kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

いただき女子(を擁護する人)は好きか?

こんにちは。

 

「いただき女子は、法に触れていない」とボクが主張すれば、なにかボクが非道徳的な人間であるかのような気がするだろう。人は、「不合理でも道徳的な悪を罰するべきだ」と主張する人は、おそらくそれほど道徳的なのだろうと考えるからだ。つまり、道徳性という倫理判断の思い込みが強ければ強いほど、無理にでもそれを犯罪にしたがるのだという人間心理のあり方を踏まえた判断なのだ。

 

おそらくこれは正しい。中世のアクィナスなどの哲学者からマルクス、さらに現代に至るまで、多くの経済学者たちは「自然な価格」とは「市場での価格」ではなくて、むしろ生産に投入した労働量などだと主張してきた。まあ、大体はあっているのだが、厳密には一致しないことも多い。

 

いただき女子を批判するのは非合理的だが、そういった批判を肯定することで、初めて「自分の道徳性の高さ」を喧伝できる。ボクのように「悪いが、それでも犯罪ではないだろう」などという偏屈者は、道徳的に信頼に値しない。

 

最後の余談になるが、こうした論理を展開する人(ボクの場合は女性)が眼前にいたとしよう。ボクは研究者仲間として大いに評価するが、そういう女性が好みかといえば、おそらくそうではない。ここにはダブル・スタンダードがあって、研究仲間と配偶者や恋人には異なった資質や性格を求めるということなのだ。

 

あな、難しや、難しや。

 

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