kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

日本一のトンデモさんのサイトへようこそ

追伸

 

ホテルですることもないボクは今 だいぶ酔っ払ってきました。

 

このサイトはボクが友人に宛てた私信というのが まず第一なのですが、こうして公開しているのは 読んで楽しい人がいれば良いと思っているからです。

 

それはどんな人物か? 

 

それを完全に特定することはできないのですが、あえていうなら20代の自分です。もっと知識はなかったが、多様な知識に興味のある人物。ということで、このサイトは100%の男性向けですwww 

 

実際 このサイトの駄文は20代後半-40代の男にしか読まれていないことは間違いありません。ということで、今後は 橘玲さんの言ってる、売らんかなの内容に比べても 桁違いにwww「言ってはいけない」ことを書いて行くつもりです。

 

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

この書籍は初戦は世間受けを狙ったまとめなのですが、実際には

 

1。黒人はスポーツは得意だが、遺伝的に知的に劣っているので経済は永遠に最貧国のままだろう、

 

2.グアテマラ、メキシコ人は残虐な殺人的な遺伝的傾向が強いために、今後も殺人率は高くあり続けるだろう、

 

3.タイやマレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国は製造業で中進国にはなるが、イノベーションを先導するような先進国並の所得にはならないだろう、

 

4.イスラム諸国は知的なレベルの問題から、永久にヨーロッパ諸国に追いつかないだろう、

 

5.中国人は学習は速いが、知識のパクリしかできないために、何も新しいものを生み出せないだろう

 

6.日本人は絵画芸術に秀でているが、他のことはすべからく欧米の猿真似にすぎない   ▼※△☆▲※◎●・・・・・・・!?

 

まあ 事実のあり方を楽しめる人は今後のポストを楽しんでほしいのですが、こうした主張によって僕自身が近いうちに失職するのが1番大きな問題です。

 

このトンデモさんの人生の最終章は どうなるのでしょう??? 乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

安楽死を掲げるトンデモさん

こんにちは。

 

今日 久しぶりにホテルでNHKのニュースを見ていたら、「安楽死の政党」の話が出ていました。この主張は良い!

 

honshitsu.org

 

長い間、感じていたことですが、病気であちこち体が痛くて辛いのは嫌だが

 

「最後に他人に世話をされたくない」

「死ぬときを自分で決めることが許されてほしい」

 

ということ。よく知られているようにスイスやオランダでは「終末期であること」を条件にしての尊厳死が認められていますが、それでも「健常者が自分で死ぬこと」は認められていません。でも、なんで??

 

人権派の弁護士なら「強制はないと言っても、家族の介護負担などの問題から 事実上の強制が生じる」というような懸念を表明します。それはそれで もっともな部分もありますが、でも本当に、どういう角度から見ても苦痛のない死を選ぶという人もいるのでは?? という疑問は残ります。 

 

日本ではこういう人間の生の「自律性」というような発想自体がひじょうに希薄なので、安楽死が認められるわけはないでしょう。まあ トンデモさんであることは間違いありません。

 

でもホントにそれで良いのか?? 人は終末期医療にどれだけの資源を投入する気があるのか? それが全額自分の出費になって、子供や孫の教育費を奪うことになるのなら、本当にそういった高額な医療を望むのか? 

 

ビル・ゲイツが人類最高の医療を受けることは当然です。しかし税金というものを投入をして、子供の保育や教育を優先するのか? それとも年寄りの医療を優先するのか? この問題は、老人が人工の半数である日本では、今後ははるかに深刻になるはず。功利主義者の立場からは、自明ではありますが、実際には甲論乙駁があります。

 

www.smtb.jp

 

news.yahoo.co.jp

 

50すぎのボクは落合陽一よりもはるかに歳をとっているので、老人の既得権に公然と反対しても、もはや道徳的な批判は受けないでしょう。実際に授業でも、安楽死の選択の自由を認めるべきだと発言しています。

 

まあ 誰も聞いていない 単なる空気の振動にしか過ぎないんですけどね。

 

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完全食はまだ高い

こんにちは。

 

 

ベジタリアンになる理由の一つには動物の解放がありますが、他にもタンパク質を取る方法にはムシを食べるというものがあります。コオロギが主流ですが、分解するならゴキでも良いように思います。ゴキブリはほとんど糞を出さないほどの究極生物なので、おそらく生産性はコオロギよりも高いのではないでしょうか??

 

さて本題に入ると、高校時代だったかにカロリーメイトが売り出されました。食べることが面倒だったので、200円でも「けっこう高いな」とか思いながらも買ったりしていましたが、気になったのは栄養的な完全性はうたわれていなかったこと。もっと栄養学の知見を取り入れればいいのに、とか思っていました。

 

ということで、最近は同じような考えの人のためにBasefoodとか、あとはCOMPとかが出てきました。スーパービジネスマンのようにやたらと忙しい人もいるのでしょうし、時短目的、健康目的などがあるというわけです。

 

 

waroring.com

 

これから試して見たいと思っているのですが、基本的に値段が高いなあ。1食あたり だいたいは500円ほど。まあ高いというほどでもないのですが、カップラーメンよりも高いことは間違いありません。それでもこれからは頻繁に食べることになるかもしれません。常食するようになったら また報告します。

 

 

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インテリの女性自身とは?

こんにちは。

 

今日は近所の喫茶店でダラダラしていたところ、週刊朝日がおいてあるのを発見しました。「ありがとう ジャニーさん!」なんて、ジャニーズ事務所への評価がちょっとポジティブにすぎるでしょう。新潮読んでるような普通の野郎たちは、(おそらく羨望もあって)ジャニーズ事務所をよく思っていないと思います。

 

dot.asahi.com

 

 

つまるところ、この記事に限らず、朝日新聞社支持者のコアは確かに左翼のインテリなのだろうけれど、最近はアエラも含めてあまりに「女性的な視点」が強すぎ。なんか 高学歴の「女性自身」というか、「女性セブン」がインテリになったというか。。。まあ 「これまでの政治経済関係の雑誌なんて 男の視点が強すぎただけ」とも言えるのでしょうが。

 

 

もっと一般論にいきましょう。

 

戦後 女性参政権が世界の主流になると、2つのことが起こりました。一つは政府の肥大化で、これは福祉国家の誕生ということです。女性参政権と福祉政策の因果関係については、確かJohn Lottなんかが主張しています。こうして現実の社会ではどういった理由であれ、貧富の格差が生まれますが、それを再分配するのが当然ということになったわけです。

 

 

もう一つは、世界から戦争が激減しただろうこと。これも因果関係には論争がありますが、まず間違いないでしょう。

 

 

男という存在は、そもそもの生まれからしてリスク戦略です。大きな成功の可能性と、惨敗の可能性を同居させているのが オスという戦略です。テストステロンもそういう方向で働いています。オスが政治を決定すれば、戦争をするし、再分配には抵抗するだろうが、メスが決定すれば、殺戮は減って、資源配分は均等化するでしょう。

 

おそらく社会哲学的な基礎なんてものは後付けにすぎなくて、もともと直感的な正義感覚が異なっている。だから理屈はどうあれ、結果としては有権者の選好はきちんと反映されているに違いないのです。

 

最後に オスとメスというのは表現型の違いでしかないのですが、集団間には(多少なりとも)遺伝型の違いがあります。どこかの社会は左翼的で再分配に熱心だが、別の社会では放任的で自己責任的であることが考えられます。もしそうした行動戦略の差を生み出すような遺伝子頻度が本当に存在するとしましょう。そうした思考回路は、おそらくリスク戦略と関係しているはずです。裸一貫でゼロから新世界に渡った人間のほうが、結果の不平等を許容すると考えられます。それっぽいが、本当にそうなのか?? 今後の行動遺伝学の進展を待ちたいものです。

 

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プロといってもレッスンプロ

こんにちは。

 

www.nikkei.com

 

まあ PythonC++でプログラムを組める大学生や、今ならSolidityでEthのプログラムを書ける学生と、源氏物語を学んできた学生が同じ給与というのは、現代社会では維持不可能な虚構だったことは間違いありません。

 

さて、ボクはこうした給与の算定は、大学にこそふさわしいと思います。これに関連した話なのですが、先日 旧知の友人と話していたら 彼が言いました。

 

「昔はプロになろうと思って研究していたけど、もうレッスンプロでしかないよね。」

 

ボク的には?? と思ったので、真意を聞き返しました。

 

「ほら、ゴルフでもほとんどプロなんていなくて、みんなレッスンプロじゃない。実力で食べていけないんだよ。教えて食ってるってこと。」

 

なるほどなあ。今日も大学で形だけの授業(らしきもの)をして、「はあー 疲れたぁ。今日も終わったか。」なんて感じているなんて ホントに情けない。いつの間にかレッスンするのが仕事だと思うようになっていたわけです、チャンチャン♪ 

 

でも 研究を仕事にするってどうやって??  

 

まあ、中世の大学なら「技芸」としての学問というのもありだったのでしょう。現代は、学会を含めて 非常に広い人間活動が国家権力に覆い尽くされています。なかなか大学という政府の延長部局以外で生きることはできないものです。

 

結局 彼が言っている中でのプロというのは、英米の冠教授のように(文科省の自己点検評価の作成、講義・教授会・委員会の義務とか)すべてを免責されて大学や研究所で研究者として生きている人です。例えば、ケンブリッジのLucas教授職とかですね。

 

以上、レッスンプロになった自分は、テニスプレイヤーを名乗れないという自虐ネタでした。でも もう今ならちょっとしたプログラムを組めば、(あるいはWatsonに聞くだけで) 研究 教育 事務 これまでの貢献度 なんかは点数化可能で、大学教員の給料も完全に透明化できる時代なのにね。

 

PS. 皆さん ニシコリvsフェデラー楽しみましょう。

 

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暗号通貨時代の信用創造

最近Facebookによる私的な通貨Libraの発行について、多くの中央銀行や政治家が「待った!」をかけているようだが、しかしこれは単なる時間稼ぎしかならない。

 

crypto-times.jp

 

 

そもそも民間銀行は、預かっている金銭の100倍ほどを貸し出す権利が与えられている(通貨の信用創造)。これはこれまでの銀行の利益の源泉だ。今では当然視されるこの権利も、イングランド銀行から過去2世紀をかけて「法的に」特許された権利になってきたという経緯がある。

 

もしリブラのような通貨が世界のデファクトになると、もちろん銀行による信用創造はできなくなる。もしできるとしても、それは銀行ではなくて発行元のFacebookの権利になるだろう。

 

 

同じ話だが、どの中央銀行も自らの通貨を暗号通貨に置き換えようとはしていない。これは単純な理由があって、民間銀行による信用創造ができなくなってしまうからだ。

 

暗号通貨では、発行量と所在が基本的に一意に決定されてしまう。日銀の発行通貨が暗号通過になってしまうと、民間銀行は基本的に必要なくなってしまうし、もし現在のように紙幣やコインを扱い続けるとしても、信用創造ができなければ、民間銀行の利益の源泉は消滅する。つまり、今のような形での銀行はなくなって、投資業務・融資業務だけになる。(日本の銀行員は、このどちらにも何のノウハウも持っていない。)

 

これまでの世界で銀行が担ってきた決済業務は、近い内にそのすべてがIT会社に移転するだろう。いうまでもなく、圧倒的に強いのはメッセンジャーを持つFacebookとかLINEとか、あるいは小売業であるAmazon。ついで利用頻度の高そうなApple, Googleというところで、つまりGAFAなんだろう。もっとローカルには楽天やJRコインのようなものが日本を中心に地域通貨として流通することがありそうだ。

 

(通貨が私的な発行物になるというのは経済学史において、最も重要な変化であるのに、野口先生以外はその金融革命的な意義に言及すらしていない、オドロキ!! 単にバカなのか、儒学者なのか?? )

 

ちなみにrippleは既存の銀行制度の存続を前提にして、SWIFTのような過去の遺物を代替することで富を生み出そうとするシステムだ。あるいはこうした利益の出し方は、しばらくは残るのかもしれないが、ボクはあまり共感しない。

 

と考えてくると、Libraとかのほうがよっぽど自然であり、Amazoncoinも時間の問題になる。だって既存の銀行システム自体がレガシーであり、国家権力からの特許だけが存在基盤なのだ。もちろん投資銀行というのは残るだろうが、それはずっとパーソナルなものであり、現在のプライベート・バンキングやヘッジファンドに近いはずだ。これまでのように大きな組織が国家権力と結託して存在し続けるような理由は見いだせない。

 

最後に、金融政策の変化について一言。

 

暗号通貨が主流になると、これまでのように中央銀行による恣意的な利下げや通貨発行は許されなくなるから、政策オプションは減少する。これは通常のマクロ経済学の立場からは、良いとも悪いとも考えられる。

 

(ちなみに、もし実物要因によって経済が変動し、通貨量がそれに追随して増減しているとしよう。暗号通貨の時代には多くの通貨が同時的に流通することになるから、一つの通貨の供給量が固定的でも、経済主体は他の無数の通貨を媒介にして契約できる。結局、銀行の信用創造に代わるかたちで、複数通貨が相互に価値の担保となって、自発的な信用の拡大が生まれる可能性がありそうだ。死ぬ前に、ぜひともどういった世界になるのかを見届けたい。)

 

リバタリアンの立場からは、金融政策のオプションが減るのは単純に望ましいことになる。シンガポールや香港を見てもらいたい。彼らには金融政策なんて、利用不可能だったが、今では東京よりも圧倒的に生産性が高い。

 

長期的な生産性の向上=経済成長には、金融政策なんて有害なだけ。そんなものがないほうが、政治家の詭弁は減り、政治家も国民も本当の課題に真面目に対面するしかなくなるのだ。経済の問題を、政治の問題にすり替えるケインズ主義の思考の病から開放されれば、よっぽどマシな政策論争ができるだろう。

 

日銀にしても、後ろ向きの既存の銀行システムの保護じゃなくて、本当のE-japanを目指して、日本円を暗号通貨にすべきなのだ。後ろ向きの業界保護からは何も産まれないが、日本円を暗号通貨にしてAPIを公開したりすれば、もしかして新たな技術革新を組み込んだ決済システムが日本から生まれるかもしれない。それこそが シンガポールに追いつくためのただ一つの道なのに、、、

 

 

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オレの人生にときめきをくれ!

今日は大学の図書館に用事があった。

 

で、たまたま『人生がときめく片付けの魔法』を見つけた。ちょうど先日 日本人とイギリス人の同僚たちとおしゃべりしていた際に、「最近 コンマリさん 人気だよね。ネットフリックスでも 大人気の番組になってんだってね。」という話にもなっていたの目についたこともある。タイムの「影響力のある100人」にも選ばれているはず、それはスゴイ!! 

 

そのときの会話。イギリス人の同僚いわく、「コンマリは東洋人の神秘って感じだからじゃないか? アメリカ人は特にそういう趣味が好きだからね。」

 

 

ボクの感想はといえば、「誰でも内心で、ビシッと言われたいと思っている。それがコンマリの巫女じみた身振りやトーク内容と相まって、猪木のビンタみたいに「人生を考え直せ!!」となって、気持ちいいんじゃないか?」というもの。

 

余談だが、Netflixの番組では、それにときめきを感じますか? というのが、Does it spark joy? と約されて、コンマリが日本語で聞いている。なるほどspark joy というのはキラキラした感じがして名訳だ。

 

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

 

 

 

さて本の内容は、8年前のベストセラーであり、やたらとネットの記事にも書かれていること、ネットフリックスの番組でもやっているので、ほとんど知っていたが、感想を少し。

 

・やたらとモノの持つ意義とかモノへの感謝を重視するところ、さすが女性的な視点というか世界観である。あまり男性的な機能主義ではない。風水とか、モノへの感謝とか。最後は「片付けると、やせる きれいになる」とか。そうしたことがあるのはそれで結構なのだろうが、かなり信仰宗教じみている。(しかし おそらくこのカルト的な部分がないとこれほどのブームにはならなかっただろう。)

 

・もっと重要なことは、「ときめき」を感じないモノは、あなたの人生では、もうその役割を終えているのだから、感謝して処分するべきである。ここで「未来に使うかもしれないから」と考えるのはよくあるパターンだが、実際には使わないため、ムダかつ有害である。

 

・同じように、よく巷間言われているような、「1年着なかった服は処分すべき」、「1着買ったら、1着捨てる」とかいう、厳格な形式基準も現実にはほとんど機能しない。

 

 

ちなみに、この「ときめき」と言うやつは つまりは「直感」のことであり、「使うかもしれない」という思考は、あえて言うなら「熟慮による利益衡量」とでも呼ぶべきものだ。西洋哲学でも、直感に基づく義務論と、帰結主義的な利益衡量に基づく功利主義、が鋭く対立してきた。こうした行為に対する倫理判断の基準と、著者コンマリのいうモノを捨てる基準とが似ている状況が興味深い。

 

 

功利と直観―英米倫理思想史入門

功利と直観―英米倫理思想史入門

 

 

 

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

 

 

 

さて「~~のときに使うかもしれないし、==に必要になるかもしれない」というような利益衡量的な思考は、実際にはリスク回避的=いらないモノをとっておく、という帰結に陥りがちである。モノが安くて、あふれかえるわりに住居スペースが逼迫している現代生活では、それは現実にはうまく機能しないということなのだろう。直感のほうがかえって機能的だということか。

 

ときめかないモノは、実はいらないものだから、なくなってもすぐに対処できるということも指摘されている。

 

これに関しては、ボクも良く「この内容のファイルは、昔書いたことがあったはず。さて、どっかにあったはずだけど、どこだろう?」と(パソコンの中を)ダラダラと探し回ることがあるが、最初から全部捨ててあることがわかっていれば、むしろすぐに書き直し始めるしかない。結局、探索活動なんてしている間に、おそらく新しい書類をトットと書き終えることができたはずということは何度もあった。

 

ともかくも 「未来のすてきな生活のために、今あるモノを整理する」というのはけっこうなポジティブ思考だ。今週末にでも、やってみることにしたい。

 

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