kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

「知能=IQ」という日本教育のタブー

こんにちは。

 

娘のYouTubeを参考にして、高須幹弥のサイトを見てみた。彼はさすがに医学を学んだだけあって、大まかに正しい。

 

www.youtube.com

 

残念だが、人間の知的能力には差があって、そのことを公言できるのは医師の資格を持つ人達だけだ。彼らは犯罪者その他の知能検査で、どの程度、犯罪者が「避けられない、仕方がなかったのか」を判定する役割を法的な制度の枠組みでも担っているからだ。

 

当たり前だが、生まれつきIQの高い個人は、野球で「運動神経の良い個人」と同じような意味を持つ。努力である程度は補えるが、すべてではないだろう。

 

こういうことは「発言してはならない」ことになっていることそのものがおかしいし、残念だ。こういう真実を無視しては、(所得の不平等の矯正などという)マトモな政策ができるわけがない。

 

まともなメディアではなく、高須幹弥のような「いろもの」しか。IQについて話せないというのはそもそも我々の議論の可能性を歪めている。僕も「自由主義」という枠がなくなれば、もっと自由気ままに「科学」的にわかっている行動遺伝学についても話せるのかもしれない。

 

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きみのお金は誰のため

こんにちは。

 

今日は『』を読んでみました。普通、こういうベストセラーってあんまり感心しないものがほとんどなんですが、これは良い! 社会・経済は人々の贈与、それは形としては金銭を通じた交換であるということがはっきりと書かれていますね。

 

 

おそらく一番良い指摘は、「僕たち」という概念が、通貨を通じた交換だと認識するとひじょうに狭く感じられる反面、「贈与」であるというふうに考えるなら、はるかに広くなって、社会全般を友好的に捉えられるという点にあるでしょう。

 

 

(では、なぜこうした認識論的な相違が生じるのかについても、いつか書いてもらいたいのですが、おそらくそれは人々が望むことでも、面白がることでもないのだろうけれども。)

 

もちろん、ツッコミどころはいくつもあって、「投資銀行に務める切れ者の大卒女性が、それまで、こんな単純なことを理解していなかったのか?」とか、「エンジェル投資家が、本当に『働かずに金儲けをしている』ズルい人たちなのか?」など、まったく納得できない部分はあります。

 

そうしたことまで書き込めば、小説としての枠組みには収まらなくなるだけでなく、おそらくは多くの人たちの反発を買って、ベストセラーにはなり得ないでしょう。。。ともかくも、とても読みやすいので、おそらくは大学生くらいの人にオススメの本でした。

 

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山崎元さん

こんにちは。

 

今日は近所の書店+スタバにて山崎元さんの『息子への手紙』を読んだ。僕は1995年に大人かつおそらく十分な経済学の知識を持ってと帰国してから、いろいろな「経済評論家」の本を読んできた。そのなかで唯一人にオススメできるのは、この人の投資法だ。実際、昔書いた本でも、彼の文章を引用しているはず。

 

 

 

 

要するに、投資法としては、「それなりの収入割合をオルカン一本で投資をして、必要だと感じたときに売って生活資金にする」というだけ。

 

他にも「資本主義の仕組み」や「幸福論」などの著者の世界観が書いてある。僕も資本主義の仕組みについては完全に同意。要するに、サラリーマンの「リスクを極端に回避する」という人生戦略では、人生を「機嫌よく」生きることは難しいということ。早いうちにスタートアップに関与するか、「取替のきかない」特殊な知識を持つビジネスマンになるか、の2択だということだ。

 

僕はこの本で言う、「個人投資家戦略」という形で生きてきたが、それは単に人付き合いが下手で、あれこれ本を読んで考えるのが人生の楽しみだったから。ビジネスマンとして楽しくスタートアップで仲間とうまくやれるなら、そういう人生も素晴らしいと思う。

 

幸福論についても、大まかに同意できるし、「人生の目的は人それぞれで良くて、金儲けでもいいし、何でも良い」というのも第賛成だ。

 

 

どうして凡百の投資法がの指南書が溢れているのか?? 特に経済学のマトモな論文を読んでいる人ほど、まったくよくわからないはずだ。おそらく山崎さんが指摘しているように、情弱の主に年配者が「マーケティングに惑わされている」のだろう。まともな若者はもうS&P500か、オルカンしか買っていない。

 

余談になるが、こういう本は、「よくわかっている大人が18歳の大学生にわかってもらいたいこと」を書いている。僕も「18歳から」という題名で書いたことがあるが、現実には18歳の少年はあまりに子供すぎて、知識も世界観も中二病のままなので、こういう「本当のリアルな現実」を語っても、ほとんど届かない。(山崎さんの息子さんは飛び抜けて知的だから、あるいはわかると考えられるのかもしれないが、、、) その点は残念でもあるが、まあ、実際の読者は20代後半以降のビジネスマンだから、別に問題はないのだろう。

 

ともあれ、彼のような啓蒙的な人材が亡くなったことは実に惜しい。もっと活躍してもらいたい人だった。ご冥福をお祈りします。

 

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最後のアダ花になるのか?

こんにちは。

 

なんか今年に入ってEVが売れていないというニュースが相次いでいる。アメリカ、EUでも大きなブレーキが掛かっている。

 

もともとEVは高いのに航続距離は短いから、政府の補助金がなければ売れないということと、どの国でもアーリーアダプターには行き渡ったということなのだろう。完全にEV普及は踊り場に差し掛かっている。

 

それで、もともと経済的に有利だったHVが俄然売れているということになる。特にトヨタはその評価までもが復活して、これから5年以上はこの世の春を謳歌しそうだ。いや、あるいは10年かもしれない。

 

しかしナトリウム電池、半個体電池など、毎年電池は新しい種類が出て大容量化して、低価格化している。HVよりも全体のランニングコストが下回るようになるために必要な時間は、せいぜいあと5、10年ほどではないのだろうか?

 

また、BYDのEV・PHVラインナップを見ていると、トヨタの時代はやっぱりもう10年したら終わるんじゃないかと、改めて思われてくる。というか、EVの設計や生産の効率化に関しては、中国勢は5年は先を行っている感じだ。テスラでさえも、自動運転という土俵以外では、中国勢の価格競争力にはついていけなくなるのではないだろうか。

 

電池を含めた価格競争力が違うことが重要なので、まずは東南アジアなどの中進国から席巻していくことになるだろう。実際、もう中国は世界最大の自動車輸入国だ。インフラが揃ってくれば、あるいは中国メーカーが(今のテスラのように)自分たちのためのチャージャーを是会に整備していけば、どの国でも中国車は大きな勢力になりそうだ。

 

今は「日本車がやっぱり優れていた」「EVはオワコン」なんて自慢している人が多いようだが、どう見ても終わりの始まりだよ。

 

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中毒のバカ話

こんにちは。

 

昨日のポストには、さらにくだらない余談がある。最初はスマホ中毒対策の、大きな長財布サイズのtime locking walletを買った。それは良いが、1週間もしないうちに、依存が激しくなって、ジリジリした気分でうろうろと部屋を歩いて、ぐるぐると頭を回していると、

 

「はっ、もしかして、この厚手のプラスチックをつきぬけて、このままSuica使えるんじゃね?」

 

と(薬物中毒だから、「必死で」考えているうちに)思いついた。早速、夜中の2時すぎに近所のピーコックで実験してみると、なんと使えた!! → 元の木阿弥の9%チューハイ3本!! バカの極みオジサン

 

ということで、また数週間の連続的依存生活に一気に戻ってしまった(ハア~~)。

 

ダメなやつぅ~~、まったく情けない。

 

さて何日かして、あるときシラフのときにツラツラと、あるいはボケッーと考えていると、

 

「だったら、もっと大きくて動かせないホントの金庫にすれ良いんじゃね?」

 

と考えて、さらにアマゾンを探してポチった。

ついにMini Safe, あるいはMicro Vaultというほどのものを使うようになって、1週間、断酒し続けている。

 

夜はつらいが、昼は元気に生きている。問題は、昼間のうちに食料品を買って、その後の夕方から次の午前中まで、何も買えないことだ。まあ、生鮮食料品以外の買い物はオンラインで十分んなので、別に問題はそんなにないけど。

 

ということで、バカな僕は多くの金を薬物中毒に費やしてしまっているという笑い話で、、、 みなさんも一人で飲む酒はやめましょう、マジで依存症になるよ。酒はあくまで人と楽しく付き合うときのために、とっておきましょう。

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自分をセイレーンから拘束するには

こんにちは。

 

もしかしたら気づいている人がいるかも知れないが、1週間ほど断酒している。断酒すると、やたらと起きている時間が(相対的に)長くなる。日中にできることが多くなるというわけで、そうした時間があると、ただ単に最低限の決まった買い物をして、最小の料理をしてそれを食べ、できるだけ長い間寝るよりも、わずかながら大きな時間が残る。やる気も戻るので、こうやって何かを書いたりしているというわけだ。

 

ということで、本を読んでみたり、Netflixを見てみたり、小さな移動旅行をしてみたり、駄文を書いたりというのは、エネルギーがあって昼間の時間が長いシラフ(断酒)が望ましい。そんなことはわかっていたけど、ただアルコールのせいで実践できなかっただけだ。それでついに自分自身の手足を縛るしかないと決意した。

 

 

 

 

これを買ってから、昼間のスタバでの仕事+リラックスのタイムが終わって夕方家に帰ると、すぐに携帯とカード、現金を16時間隔離して、ファスティングに入るというスタイルだ。まあ、自分の力で久里浜アルコール依存センターにいるのと同じ状況を作り出しているといえるかもしれない。

 

みなさんも、もしアルコール依存に悩んでいたら、まともな昼の一瞬に買い物のすべてをして、残りはすぐに財布全部をimprisonしてみてください。もし久里浜その他の病院に入るにしても、そこから出たら、結局はなんとか一人で断酒するつらさを克服するしかない。

 

それなら、今すぐ自分で財布を隔離して、我慢する時間を長くしよう。きっとできるはずだ。

 

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終身雇用制度の害悪

こんにちは。

 

先日、大学時代からの友人と会って、食事をした。で、彼が最近書いたということでもらったのが、この本。

 

 

もちろん、いろんなことが書いてあるけど、ここでは彼が僕との会話で発言した、もっとも重要な部分を一つだけ。

 

「日本のIT業界が腐って競争力を失ってしまったのは、終身雇用という制度のせいだ」というもの。

 

なぜか?

 

日本ではかなり大きな会社でも社内にシステム構築などを手掛けるIT部門がないことがほとんどだ。で、富士通NECなどのSierに外注する。この関係性は所詮は外部なので、出来上がったシステムそのものは、とんでもなく非効率的で競争力がない。

 

では、なぜ内部にIT部門がないのかといえば、システムというのは設計、構築といった立ち上げるときには大量の人材が必要だが、それが終わると人があまり要らないメンテモードに入るが、この人員変動を終身雇用の前提では支えられない。結果的に、Sierに外注するというのが最適解になるが、それはアメリカ企業のようなアジャイル・効率的な開発がまったく不可能だということになる。

 

これは多くの企業だけではなくて、すべての政府部門にも当てはまる。役人にはIT人材がいないため、国税庁e-taxを見ればわかるように、ゴミのようなシステムを使い続ける、あるいは恐ろしくゆっくりと改善していくことになる。

 

ということで、最適な経済システムは、終身雇用ではなくて、「プロジェクトごとにエンジニアを集める」というアメリカ形である、というか、結果的に現代はそうなってしまっている、ということだ。こうした雇用の不安定さを補うためには、プロジェクトごとにエンジニアに1億以上支払うような柔軟な報酬設定が不可欠であり、それはまさに日本的な年功序列、終身雇用では不可能なことなのだ。

 

「日本人には、そういうことができない」というのはウソだ。だってプロ野球選手やJリーガーはたしかにそういう雇用形態になっているのだから。問題は、そうした意識が社会の常識になっていないこと、だから「学歴」などというゴミのようなものが、重視されてしまうである。

 

というわけで、僕たちの会話は一致することになったが、こうした話は、彼とは大学時代からし続けてきた。あれから35年以上が経ったが、日本は変わらないままゆっくりと衰亡している。なんとかしたいのだが、、、

 

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