kurakenyaのつれづれ日記

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進化心理学と国際政治理論

こんにちは。

 

最近はほとんど本を読まなくなってしまったのですが、今年のいつだったかのオンライン・トークで、若手政治学者の伊藤隆太さんの話を聞き、またちょっとした発言もしました。それで彼のD論が『進化政治学と国際政治理論』という著作になっているので、先月先月読んでみました。

 

 

進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ

 

内容としては、

 

  • 政治科学は、(科学哲学的な意味で)科学的な真理を探求する学問である。そして、科学理論に対しては、実在論の立場をとる
  • 例はいくつもある。例えばアメリカに対する戦争をしかけたのは、日本がハル・ノートを突きつけられ、心理的な怒りを感じたためである。これによって陸軍の好戦派は、厭戦的な海軍その他に対して「戦争やむなし」という心理状況を得た

 

というようなものでしたか。。。まあ、適当に書いているので、他にもいくつかの論点があったかと思うのですが、、、

 

さて、1は、おそらく経済学に限らず、すべての社会科学をまともに志した人には当たり前すぎるように感じました。ボクも若いときには「経済学は科学足り得るか?」みたいな科学哲学が好きだったので、よくわかります。

 

2は、もっと深刻な問題です。日本の社会科学では、進化心理学をまったく理解していない人がとても多い。というか、圧倒的な多数なので、殺人、レイプ、戦争などの、現代の倫理観からは望ましくない行為に対して、イデオロギー的な否定に終わっている学者ばかりです。これらの行為は、人間の過去の長い歴史においては、個体、あるいは集団レベルでは、(機会にもよるが)あるい程度は適応的な行動だったと考えられるからです。

 

ちなみに「社会科学標準モデルSSSM」というのは、ジョン・ロックが主張したように、「心は 白紙の石版であり、何でも書き込める」というタブラ・ラサ仮説に基づくものです。だから、殺人や戦争なんかは、単なる精神的な「病理」として片付けることが可能になるという代物。

 

今後は、人類史に普遍的だった戦争行為も、集団的な利益対立の極限的な解消活動として理解されるべきでしょう。

 

さて、3は、進化心理学を実際の歴史的な状況に当てはめるという、進化政治学ということになります。頑張ってもらいたいものです。

 

全体として、哲学趣味が強いことと、進化理論を説明すること、それらを(おそらくは同僚の政治学者を説得するために)長尺をとっているのが印象的でした。これは日本の政治学会の現状を反映していると感じました。つまり人間の存在や活動を、マルクス、あるいはその師匠のヘーゲル的な、まったくの空疎・無意味な形而上学からのみ理解してきた状況の裏返しなのでしょう。

 

Tooby and Cosmidesの殺人、Buss, Millerなどの性的な好み、Curzbanの進化政治学、Haidt, Greeneなどの進化政治心理学、進化論的神経科学にくらべて、20年くらいは遅れているか、、、(確か、社会生物学進化心理学創始者の一人であるRichard D. Alexanderは「ダーウィン以前の社会科学者は、まったく引用する価値がない」と書いていたと記憶しています。昔過ぎて、どこで読んだか忘れたので、誰か覚えてる人は教えて下さい!)

 

日本では学部間のつながりがまったくない、というのはよく知られています。まあ、タコツボ型の学部とポストの配分がありますが、その究極的な弊害なのでしょう。伊藤さんのこれからに期待します。

 

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