Jonathan Haidt はヴァージニア大学の心理学教授で、主にモラル・サイコロジーを研究している。
The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion
- 作者: Jonathan Haidt
- 出版社/メーカー: Pantheon
- 発売日: 2012/03/13
- メディア: ハードカバー
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この著作は、ダーウィンやウィルソンによって指摘された、進化論と整合的な「正当な」道徳心理学、政治心理学の説明をほとんど含んでいて、僕は楽しく読んでいると同時に、自分か情けないというガックリという感もある。
ちなみに僕と年も近く、ソシオバイオロジーの余波が残る80年代にYale大学で学生生活を送っていたことが書いてある。
さて、ハイドの説明によれば、モラリティには、fairness, divinity, loyality など複数の要素がある。それらは、それぞれ異なる適応価を持っていたからだ。この意味でベンサム的な功利主義やカント的な義務論は、単一の価値に道徳を帰属させようとする点で、過度の単純化である。
そして、(まだ読んでいないが、後半にかかれているらしいことは、)リベラルはfairness と harm principle だけを過度に強調した道徳観から生じている反面、コンサバはloyality, divinity などの価値観を最重視するために、政治的にまったく異なった主張をするのだという。
なるほど、そのとおりだろう。僕もどこぞで書いていたが、政治的な主張の違いには、人格的な相違があり、それは異なったタイプの適応戦略によるのだという発想だ。こうした、進化心理学と、政治哲学、政治学の融合こそが、Wilson の考える Consilience 科学の統合 というものだ。
こうした試みが、アメリカで起こっているのは、偶然ではない。75年当時、ウィルソンは激しく左翼からバッシュされたが、知的には完全に勝利した。彼のいった、進化論による社会科学の統合という発想は、現代の学者が次々と推し進めて、まさに知的革命が起こりつつある。
経済学にもそうした流れは押し寄せてきているが、それでも経済学は、合理性概念による行動を扱うことがほとんどだから、比較的に隔離されていると思う。とはいえ、長期的には、ベッカーなどのようなミクロ行動理論は、経済学で仮定されているような合理的思考による部分と、進化論的に説明されることの多い本能的な部分に variance decomposition されていかざるを得ないだろう。
まだこの本については、しばらく書くとおもうので、引き続きよろしく。