kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

Altruism stems from massacre

こんにちは。

 

NHKの「麒麟が来る」を見ていると、光秀が平和を願って「戦のない世の中」を目指していたという話になる。

 

なるほど、戦のない世界は理想だが、おそらく人間の歴史ではそうした時代はほとんどない。いつも誰かの隣国を攻略して、あるいは殺されるかしかない。

 

日本の20世紀後半から現代というのは例外的に平和な平和な時代で、そうではない時代がほとんどだから殺し合うのは必然になる。難しいものだ。

 

特に若い男性10代から20代の男性というのは、「戦は祭り」という感じで、楽しめる人も多いだろう。こういうのは左翼的には間違いなのだろうが、実際にはそういう感覚を持っている男がいるのは間違いない。

 

それは左翼としては「道徳的な誤り」なのだろうが、生物学的には良くわからない。だって、アリ塚は完全に集団が超個体になっているんだから、ヒトでも同じな部分があってもふしぎではない。いや、そういう部分がある程度はあってと考えなければならない。

 

そうした殺し合いから、「友情を交わした他人のために死ぬ」という美談も生まれるわけだ。もし左翼的な個人主義だけがすべてであれば、そうした他人のために死ぬという武士的な価値観も生まれなかったはずだ。

 

うーん、これは難しい。我々が「素晴らしい」と感じる価値観の多くは集団主義に根ざしたもので、これは集団的な殺し合いからしか進化しないはずだ。どう考えたものか??

 

 

 

 _