こんにちは。
もちろんボクはカルロス・ゴーンの件は、トンデモない話だと思ってますよ。
https://www.youtube.com/watch?v=_ITpv8MZMEc
日本の人質司法は戦前からのもので、今頃になって話題になるのは、本当に情けない。ボクが法学部にいた30年以上前からこの問題は(左翼の人権思想から)議論されていたのですが、実務が変更されるはずもなく、現在に至る。
これまでは、ゴーンのように「重要な」ヨーロッパ系の人間がこの国の司法手続きを受けたことなんて1回もなかったために、この問題は土人同士の内部的な人権侵害でしかなかった、それでヨーロッパメディアがとり上げなかったということです。
さて刑事訴訟法を勉強したことがある人なら、60条に明記してある勾留の要件をある程度覚えているはず。簡単にいって、逮捕の後に身柄を拘置所に留め置くためには、1.逃亡の恐れ、あるいは2.証拠隠滅のおそれ、のどちらかが必要です。(住所不定もあるけど、それは意味がない。)
常識的に考えれば、65歳の高齢で、社会的な地位と大きな財産を持っていたゴーンが逃げるはずはないし、証拠隠滅についてもコンピュータや、あるいは最悪の場合は電話へのアクセスを記録、あるいは禁止するだけでよいはず。(AFPなんかによれば、本人はGPS付きの脚錠をつけてもいいと言っていたようですが。)
結局、何ヶ月でも身柄を拘束して、自白をするまで心身を弱らせるという日本人独特のやり方が丸出しなのです。(こういうやり方が、果たして日本語がわからない外国人に効くとも思えません。)
おまけに何回も連続に逮捕されて、一体いつまで牢屋に入れときゃ気が済むの??
「一事件、一逮捕、1勾留の原則」も完全に骨抜きなのがわかります。そもそも罪数についても、実務では自由に行為を分割して何回でも数えることができるという発想なのです。
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さてこうした左翼的な批判は誰でも書いているので、ここでは面白くないでしょう。それはさておき、もう少し僕らしく掘り下げて考えて見ると、この国の法感覚、特に刑事手続の感覚と、マッカーサーの置き土産である日本国憲法が、そもそもまったく乖離しているのです。
例えば、白人が作り出した近代法の伝統には、「無辜の不処罰」とか言う言葉があります、結局 それは「無罪の人を罰する確率を下げる」ためには、「有罪の人を処罰しない確率を上げる」ことを意味しています。(ちなみにバカらしいことに、こうしたトレードオフを法学者は認めないのが普通です。)。
これは確率学で言う、タイプ1、タイプ2エラーのような考えですね。
「有罪の人を処罰しない確率」を上げることについては、ほとんどの日本人、特に保守的な日本人は死ぬほど嫌がります。とすると結局、無罪の人を罰する確率を上げるしかない → 司法手続きにおける人権も、適正手続も侵害しまくるしかない。
アメリカ的なdue processを法文の上で戦後のドサクサで形だけ押し付けても、人の心や価値観は変わるはずがありません。だから結局は、条文と実務とがまったく違うという情けないことが起こるのです。
(もちろん、アメリカでは有罪の人間が処罰を受けていないというケースが頻繁に起こっていて、例えばO J Simpsonの事件なんかは、間違いなくクロが無罪になってます。それはそれで、ほとんどの人がこの国の司法はおかしい?? とは思っているのですが、トレードオフからすれば、まあ仕方がないということになるのでしょう。)
これには常識的に考えて、2つの対応が考えられます。
- 法に従って適正手続をもっと徹底するか、
- はっきりと「我が国では、人権よりも犯罪の処罰を優先する」という。
コズルイ嘘をつき続けるよりは、よっぽど潔いというものです。
まあムリなんだろうな。だってヨーロッパ人の国はすべて人権重視だし、そんなことをあからさまに言ったら、まるで中国みたいな時代錯誤の国家主義者の集団だと思われるから。野蛮人だと思われるのが嫌だしね。でも、本当のところが、そうなんだから仕方がない。
うーん、アジア人の宿痾だな、これは。
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