- 作者: リチャード・ワイズマン,木村 博江
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/02/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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友人にすすめられたので、読んでみた。
中学の時には、超常現象を信じるサイドからの本を沢山読んだ。大人になってからは、信じないサイドからの、いわゆる暴露本を読んだことが多い。この本もそうした暴露本、つまり「これこれの話があったが、実はこういう程度のことだった」というものなのかと思って読み始めた。
しかし、違っていた。この本の内容、魅力や現代性はそうした客観的な意味での暴露話ではない。そうではなくて、「どうして我々の脳は、こんなに騙されやすいのか?」という心理学の視点から、超常現象の謎解きをするのだ。
認知心理学の教科書によく書いてある話がある。ナチスがロンドンを爆撃した時、ある一だけが爆撃されていないので、その当たりにはナチスのスパイがいるのではないか? と皆が考えたという話。戦後、統計分析を行なってみると、それはただの偶然性のなせる技で、特段の説明要因などいらなかった、オシマイ
人間の心理には、「存在していないパターンを実在すると信じる」傾向があるのだ。例えば、星座なんていうものの存在自体が、ランダムな世界に何かを見つける力の強さを表している。あるいは月のうさぎ、あるいはジーザス・クライスト
http://pinecone13.blogspot.jp/2012/07/oh-my-dog.html
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p076b3830c8356b8d6945bcc01f976f47
http://matome.naver.jp/odai/2135042988307190601/2135044550408665103
心理学的な事実として、想像力が高くて、魂の実在を信じている人は、はるかに超常現象にあいやすいことが知られている。→ ボクは今後死ぬまで超常体験をするはない
そうした話しは現代の心理学に基づいたものだが、この本にはそれだけではなく、コックリさんを始めとする降霊術は、150年も前にファラデーがウソ、当事者の無意識の関与だと見抜いていた、というような暴露話もある。
コックリさん、ボクも中1の時だったかにハマってしまい、思えばムダな時間を過ごしたようにも思う。でも、果たしてそうした信じがちな時代をいきなり飛び越えて、懐疑主義に行きつけることなどあるのだろうか?
コックリさんは通過儀礼であって、人間の知識の増大以前には、ちょうど神話の時代のように不可避なのではないのか? それこそが、ファラデーから150年たった現在でも同じような話が受け継がれている理屈だ。
こうした非合理性を越えることは、世界には実はフシギなことはあまりないという、ザンネンな世界観を受け入れることでもある。つまるところ合理主義や科学的な世界観は味気なさ過ぎて、ある種の人たち(おそらくはマジョリティ)の世界観・価値観とは相性が激悪いのだろう。
P.S. この話は、どこかリカードの比較生産費仮説に似ている。その(論理的な)利益は明らかだが、(道徳的な)愛国感情はそれを認めさせないという、、、、