kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

ヒト集団の戦争の必然性

こんにちは。

 

単身赴任という言葉があるが、まったくもってボクはその状態だ。実家と職場近くのホテルに泊まっているので、ほとんど家に帰ることがない。

 

こういう状況は社畜のすることで悲惨だという人もいる。まあ、何が悲惨なのかは経済的、人間関係的、その他の個人的な判断になるので良くわからない。

 

さて今読んでいるのが、”Multilevel Selection”。

 

 

これはロンドンで何回か話した友人たちが書いた本だが、(使われている英単語が信じられないほど難しい:苦笑)、内容はつまり、人間を含めて多くの生物種で個体を越えた集団選択が発生しているということ。

 

これはD.S. Wilson & E. Wilsonが提唱してきたことを人間に当てはめたものだ。例えば、アリやハチなどの多くの膜翅類では、(遺伝的な特殊性もあって)コロニー単位で“超個体”を観念するべきだ。はるかに弱い程度ではあっても、人間を含めて、多くの生物で集団選択が起こってきたという話。

 

つまりは、天照大神のような神話、仏教のような宗教などを信じるような精神性は、ヒトの集団選択の道具・証拠であるという考え方だ。あるいはヨーロッパの宗教戦争のような虐殺(フランスのサン・バルトロミューの虐殺、あるいはドイツの30年戦争)。

 

ウーン、おそらくそれは正しいのだろう。だが、こうした考えは、論理的に、ヒトの思考は集団主義的になること、同時にそうであるのが当然であることを意味する。(もちろん、存在概念と当為概念は異なるが、それを意識するのは難しい=個人主義的な自由経済主義は一般的には支持されないということ。)

 

これは難問だ。ボクにはまったく良い解決法がないので、みなさんも考えてみてください。