kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

古代の人間と我々は同じではない

こんにちは。

 

 

今回は、内容が面白くないので注意。

 

ウルム氷期が1万年前に終わると、人間はメソポタミアで農耕を始めた。それはけっこうなのだが、問題はメソポタミアでは小麦などが、また中国南部ではコメが、さらにメソアメリカではトウモロコシが、アフリカでもキャッサバが、ニューギニアでもイモなどが独自に栽培され始めたことだ。つまり、真似したのではなくて、農業は各地で独自に発展したのだ。

 

 

ウルム氷期が始まる7万年前には人類はアフリカにいて、世界に広がっていなかったから、農耕が起こった可能性があるかどうかを知ることはできないが、その間7-1万年前でも、中東やインド、東南アジアに至るまで、ひろく人類は移住していたから、その間に農業が起こっても不思議ではない。

 

明らかに、1万年以前の人類には、農業を行うための動物や植物の観察能力、先見性や計画性がなかったのだ。チンパンジーとの共通祖先からネアンデルタール人に至るまでは、それだけの知能がなかったと考えるのが、もっとも理にかなっている。

 

農業に続いて、7000年前には文字も各地で生まれた。それ以前にも(4万年前から)完全な言語はあったが、音や意味と、文字のような記号との対応という表象ができなかったのだ。

 

では、農業や文字文明が始まって上昇し続けた知能は、どこまで上昇したのか? 産業革命までだろうというのは、間違いない。

 

グレゴリー・クラークその他による報告では、イギリスでは12世紀から19世紀まで社会的地位の高い父親は2倍の子どもを残したという。これは知能と相関するため、当然に次第に人間の知能は上昇してきたのだ。それで産業革命、科学革命が起こる。

 

 

これについては、これまでの人文主義的な歴史家は誰も言ったことがないのだが、結局、知能があがらなければ機会を発明したり、物理法則を発見したりできなかったのだ。当たり前のこと。多分、(少なくとも文字を使うようになってから)人間は知性も含めて、ほとんど同じだったという「想像」に基づいてすべての議論が組み立てられてきたからだろう。

 

人類学者で14年に死んだHenry Harpendingは、こうした種類の考察を行っている。例えば、もし世代ごとに知能遺伝子が選択されて、1世代あたり1/10SD変化したとしよう。標準偏差の10分の1というのは、ほとんど気づくことが着ないほどの変化であることは街がない。

 

しあkし10世代=300年で1SD、20世代=600年で2SDの違いになる。600年とはしかし、歴史的には、わずか中世から産業革命までの期間でしかない。その間に、現在の平均的な知能から見ると、「就学不能」とされる知能にまで、平均的な知能は上昇することになる。

 

現在の就学不能=特殊教育というのは、100人の生徒のうち、学習が困難な2人を指す。これは、それほど異質な存在ではない。あるいはこれを言い換えれば、今の平均的な知能の持ち主は、600年前には100人中2番目の知性であることになる。これは大したことだろう。だってそれは、神官などの特殊な職業についているということだからだ。

 

実際にこれほどの変化があったとは思えないが、もっと弱い程度ではあっても知能は次第に上昇してきたと考えるのが自然だろう。今後は、その程度・速度の実証研究になることは間違いない。

 

中世はキリスト教が支配した暗黒時代であったが、近代は啓蒙主義、科学、産業革命の光の時代である。こうした違いは、単に人間の知識が変化してきたというのが、これまでの歴史的な常識であった。別にヘーゲルのような哲学者だけではなくて、すべての人間の常識だったと言って良い。

 

でもそうではなくて、実際には人間自体の知性が変化してきたのだ。次第に愚かな迷信を疑う心が生まれ、論理的に整合的な世界観を求めるようになる。それが科学的な探究心や産業革命を生み、世界が変わってきたのだ。

 

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さてマイケル・ウドリーの意見では、産業革命からの知能の低下は急速であり、実際にこの100年間に1SDの知能の低下が起こっていると報告している。

 

それにしても、本当かいな?? ロンドンで合って懇意に話した時には、このことについてマイケルは(当然ながら)確信的に話してくれたが、、、、

 

僕の祖父は8人兄弟だったし、父も8人兄弟だった(もっと生まれているが、途中で死んでいる)20世紀の日本では、こうした急速な人口拡大があったのだが、彼らの知能が低下しているという実感はない。

 

 

うーん。どうなんでしょね?? 

 

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