kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

AI 何するものぞ?

こんにちは。

 

今日はブダペストのクソ安いボロホテルに滞在しているのですが、足も腕も痛いので、完全にオフの日を過ごしています。

 

同時に、自分も長らく株を持っていたNvidiaの株価が急騰したと知り合いから連絡を持ったので、ヒマにまかせてComputex TaipeiでのNvidiaのCEOジェンスン・ファンのプレゼンを見てみました。余談ですが、これまで何年間もNvidiaのプレゼンは、株価とは関係なく、YouTube上の番組として楽しんできました。

 


www.youtube.com

 

感想としては、逆説になりますが「AI革命などと多くのが思っていることは、つまりは64年のIBMのコンピュータ導入、さらには95年のウィンドウズ95が革命的に思えたのと同じで、別段の違いはない」というものです。

 

いろいろなことがコンピュータ上でできるようになったのは疑いないですが、つまり、「それを使いこなせる人はますます生産性をあげる。できない人は所得が相対的に下がる」ということ。

 

もちろん、Windows95マイクロソフトの価値は激増したし、今回のAI革命でNvidiaの価値は激増しましたが、それは社会全体としては大きなことではない。結局は、Nvidiaのソフトフェア・ライブラリーを使える人の給与は激増するだろうが、普通の人はゆっくりとその分け前に預かるだろうというもの。これはWindowsでも同じだったし、さらには産業革命でも全く同じだったはず。

 

といことで、人はいつも自分の時代に起こったことが重要だという幻想を抱くもののようですが、今回のAIも同じです。いろんな記事がありますが、別に人間がいらなくなるというよりも、AIを使いこなせる人がますますクリエイティブになるという話です。

 

→ 結局、ますます所得格差は開くということなのです。それはイギリスで産業機械が普及しとき、アメリカでコンピュータが生まれたとき、PCとインターネットが主流化したとき、そして今回のAIが普及したときです。

 

 

いつもながら、機械は決して僕らのやりたいことを「命令」で理解することはなく、結局は「パソコンやスマホ」を適切に使える人のものです。そういうわけで、教育格差と所得格差は、産業革命以前では「人間の物理的な労働力」が重要だったのと同じで、これからも変わらないでしょう。違いは「物理力」ではなくて「知的なコンピュータとの対話能力」になったことです。

 

世界の変化はたしかに速いが、日本の常識はますますこのトレンドから外れそうです。うーん、これは難しい、、、、

 

_