こんにちは。
先日 バスティアの「法」をupしてみました。これは政治的なパンフレットなので、その中では1849年時点のフランスの政治状況や、あるいは社会思想の常識などがリアルに描かれています。そうした状況の違いは 現代人からすると かなりの違和感を感じるものなのですが、まあ同時に学者的には かなり楽しい発見であるという側面もあります。
当然 そこでも常識も、20世紀の後半以降に育ったボクの世代が 小さい頃から教えられるものとは大きく違います。
例えば 現代的には 基本的人権には自由権だけではなくて、生存権(あるいは教育を受ける権利)などの社会権が含まれるのが常識です。この社会権は 例えば日本国憲法でも「健康で文化的な最低限度の生活」をする権利として保障されており、もっと具体的にも生活保護政策なんかとなって ある程度で実現しています。
19世紀の中葉には こうした社会権が権利に含まれるという常識はなかったので、バスティアは当時 そうした主張をし始めた社会主義者たち(フーリエやルイ・ブランとかですね)に対して痛烈な批判を展開しています。「そうした社会権を実現するためには、誰かの財産を奪うことが必要になる。」つまり 自由権と社会権にはトレード・オフの関係があると指摘しているのです。
しかしその後の歴史の展開をみると、イギリスでもフェビアン協会などが活動するようになりました。20世紀に入るまでには 西ヨーロッパでは 結局は社会主義者たちの考えが広く共有されるようになって、社会的基本権が認められるようになりました。こうした新しい常識は、世紀の変わり目あたりに教育を受けたアメリカ軍人であるマッカーサーにも共有されて、現在の日本国憲法に移植されたというわけです。
少なくとも 現在の社会的な常識が 昔は常識ではなかったというのは興味深いことです。 未来には こうした常識がどう変化し得るのか?? 誰にもわかりませんが、例えば中国の情報検閲の実態を見ていると、1984のような世界にはならないことを つい願ってしまいます。。。
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