kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

重農主義政策

こんにちは。

 

今 またバスティアを訳しています。「法 La Loi」というやつ。内容については、また感想を書きますが、kyuuriさんも訳されているので、読めば面白いと思います。(ちなみに底本となる英訳はすでに4つ以上あります。)

 

それで今日は、バスティアが攻撃しているモンテスキューやルソー、その他18世紀フランスの啓蒙思想家について、それから、ほとんど有名でもないロナール、マブリなどあれこれと読んでいました。こういうマイナーな啓蒙思想家というのは、ずいぶんと 「The 歴史!」という香りがします。

 

en.wikipedia.org

 

 

で、重農主義physiocracyというのも、久しぶりにもう一度読んでしまったので一言。

 

今となっては、ケネー、テュルゴーミラボーなんかが唱えていた重農主義(これは日本でもかつての農本主義になっているけど、誰が見たって同種同根)とは、本当に不思議なものです。

 

だって「農業生産=富の創出であるが、工業や商業は国富の生産ではない」と強弁するのです。なんで??? (まあ、もちろん現代と違って、18世紀の社会思想全体がはるかに奇妙なほどにモラリステックで、因習的・非理性的な常識に囚われているのですが。)

 

結局のところ、農業重視とは、単なる人間の動物としての本能なんでしょう。だって人間も何も食べなきゃ死ぬしね。「商工業なんてしょせんは2次的だろう」という、ほとんどサルでもわかる直感。これが今でも、日本の農業政策=農業保護になってるんだからタチが悪い。フランスでもイギリスでも同じだけど。

 

その後のハーバー・ボッシュ法、現在の遺伝子改良作物、農業ロボットによる穀物生産なんかの現実をよく見てみれば、農業も工業も同じものであることは自明です。確かに自明なのですが、ほとんどの人はよく考えることなんかは興味がない。

 

難しいものです。