kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

父の死

 

安楽死で死なせて下さい (文春新書)
 

 

こんにちは。

 

 

さて今日はカゼで体調が悪いので、仕事をする気がしません。なので、2017年に父が亡くなったことについて書いてみます。

 

 

父は氷見市の市議会議員をしていましたが、それ以前は高校の化学教師でした。特筆すべきこともないのですが、人格的にはとても誠実な人でした。RIP

 

 

父はあの時代の人として当然のように、タバコの吸いすぎでCOPD(自業自得)にかかり、5年半にわたって在宅で酸素吸入をして過ごしました。だんだんと体が弱り、知的に衰退するさまは悲惨です。最後に夏休み終わりに過ごした際には、母でさえもが「父さんは、今年いっぱい持たないんじゃないかと感じるんだけど、、、」と言っていたし、ボクもそうだろうと思っていました。酸素吸入を始めて5年もつことはほとんどないのです。

 

 

母曰く、ある朝起きてみると、先に起きていた父が酸素発生器のスイッチを切って、倒れていたんだそうです。慌てた母は救急車を呼び、彼はそれから1ヶ月、ある時ははっきりと、ある時はボーッとした意識で過ごして、最後まで散発的な痛みに苦しんで死にました。

 

 

彼は生前あれほど人工的な状態(経管栄養)で生かされることを嫌っていたのに、最後は塩分+カロリー輸液を受けて、さらに衰弱してベッドに縛り付けられたままに1ヶ月間もゆっくりと衰弱していきました。

 

 

彼のベッドには合計で一週間以上もいました。悩んだのは、なぜ母に「絶対 救急車は呼ぶな。救急車を呼ぶということは、すべての現代医療を受け入れることだ」と念押しして置かなかったのか!!? 夏に分かれる前の時点ですでに、一度彼が倒れたら、もう二度と立てないことは自明だったはずなのに。

 

 

彼が望んだ潔い死に様を実現してやれなかったことが何よりも申し訳ないし、苦しめたことも悔やまれます。実際、彼は自分で酸素発生器のスイッチを切ったんだから。(これは意識が朦朧としておかしなことをしただけかもしれないが、一度もスイッチを切ったことのない人が、朝の比較的意識が清明な時間にそうする可能性は極めて低いはず。)

 

 

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もし自分の犬が、医者から「痛みと不快は続きますが、二度と起き上がることはできません。誤嚥性肺炎の恐れがあるので、食事を摂ることもできません。経管栄養で生かします」と言われたとしよう。「生かして下さい。お願いします」というヤツがいたら、そいつはサディストだろう。安楽死以外のオプションはない。

 

 

この点、なぜ北欧には寝たきり老人がいないのか? 例えば

 

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510

 

 

 

を読むだけでも、老親を生かし続けるという選択が単なる自己満足「オレは殺してないよ、できる限りのことはやろうとしたんだからな」、であることがわかります。実際、経管栄養で痛みに苦しむ末期患者を生かすのは、単なる虐待だよ。よくよくベッドサイドに寄り添ってみて、同じ時間を過ごしてみて!!

 

 

さてボクはここから2つのことを考えます。

 

  • 日本人は 「自律性」autonomyという概念をなめてるし、重要だと思っていない。二度と自分の力で食べられないなら、それは人生の活動と意味の終わりであることが理解されていない。おそらく多くの人はボクも含めて、目的のない人生をただ生きているから。これとは反対に多くのヨーロッパ人の哲学者がautonomyのない人生は自由のない奴隷であり、意味がないと考える理由でもある。この辺に自由主義がヨーロッパで生まれて広がった理由がある。

 

2.ボクは自分が十分に弱ったら自分で死にたいが、無痛で死ねる合法的な手段は日本には存在しない → スイスに行きたくなる。 まあ、手段についてはこれからいろいろと考えてみる。違法性を気にしなければ、どんな手段でもあるはず。

 

 

ということで、誰でも最後は衰弱して、朦朧となるに違いありません。その時、社会主義者がやってきて言います。「おまえは今 十分な判断ができない状態にある。おまえの死にたいという過去の決定と現在の願いはオーバーライドされた。我々はおまえを生かすことに決定した。」 かくしてOrwellのdystopiaが、残らず全員、誰の最後にも実現することになるのです。

 

 コワッ

 

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