- 作者: ジェームズ・J・ヘックマン,古草秀子
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2015/06/19
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
皆さん こんにちは.
今日はヘックマンの小著の翻訳を読みました.これは彼の40ページほどの論文に対して,10人ほどの学者が感想を述べ,それに対してまた20ページほど答えるという形で,150ページほどの著作になっているものです.
ヘックマンの論文のほとんどはフリーのPDFで読めます.単純に言えば,ペリープレスクール,アベセダリアンの2つの幼児教育からすると,そうしたリスク家庭の児童への早期介入は10−15%ほどの投資リターンを生み出すという,ある意味で衝撃的なものです.これは認知能力(IQ)の向上ではなくて,忍耐,努力,対人関係などの非認知的な能力の向上によって得られるというのも,重要な結論です.
反対派の(主に自由主義者たち)人びとは,なぜヘックマンはペリープレスクールとアベセダリアンだけをとりあげ,その他多くの社会実験(それははるかに大規模なヘッドスタート計画などを含む)での,失敗例を取り上げないのか? と疑問視します.
結局のところ,こうした状況に対してもここが違う,そこが違うなどという言い訳は無限にあるのですが,EBMと同じように,メタ分析をするしかありません.ノーベル賞を受けたほどの知性であるヘックマンがメタ分析をしたがらないのは,彼が経済学者であって,経済学ではメタ分析は未だにほとんど普及していないからだと思います.
しかし,時代は変わります.今後の経済学が「科学」と呼べるものになるのかどうかは,これまでの「精緻な数学的な理論」ではなくて,「統計的な実証」に重点が移るはずです.ちょうど友人が薦めてくれた「ソーシャル物理学」を読んで感じたことですが,結局,アダム・スミス以来の経済学者は古代ギリシャ哲学と同じで,自然はこうじゃないの? とか議論はしてきたが,それを実証するための望遠鏡,顕微鏡,実験機器といったツールを持っていなかったのです.
今後,ライフログやソーシャル・グラフが安価に利用可能になれば,結局は何が重要で,何がどうでも良かったのかがはっきりしていくでしょう.だって,古代ギリシャでは,空に投げられたボールには後ろから力が加わっているという考えが主流でした.しかしガリレオからニュートンを経て,そうした考えは現実を説明するには適切ではないということで否定されました.そういう意味では現在のもっともらしい経済学の「理論」は将来的にはほとんど否定されそうです.つまり理論なしの「統計学が最強」というのは,本当に違いありません.結局,理論というのは現実を説明するために存在するはずなのに,現実がはっきりしていなければ,理論を優先してしまうのが「知的な」人間の限界なのでしょう.
_