kurakenyaのつれづれ日記

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マクロ経済学は科学ではないのだろうが,,,

科学の発見

科学の発見


こんにちは.


2.「ガリレオが望遠鏡で月の表面や満ち欠け,太陽の黒点木星の衛星などを観察したことで,月や太陽は地球のような球状であることや惑星にも衛星が存在することが確認された.それによって天動説よりも地動説の説得力が飛躍的に高まったこと.」


ということの驚き.


これはレンズの組み合わせで望遠鏡が作られ,観察の精度が20倍というほど飛躍的に高まった結果です.その後ガリレオは重力の当加速度性を証明するために,さらに実験が盛んに行っています.


さて,こうした科学の発見の法則は,演繹と帰納的な直感を組み合わせたものです.どうやらベーコンやデカルトのような「方法論者」が言うような,統一的なものはないようです.場当たり的な部分理論は今もいろいろな科学分野で使われていますが,そうした理論が完全には,さらに基礎的な理論と整合的でなくても,実験結果を説明するなら,とりあえずの近似であるという価値はあるはずです.


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こうした科学論を経済学に引き直すなら,もし現在のDSGEモデルがどれだけかでも現実に近いモデルなのなら,証券会社などの発表している当てずっぽう,かつ適当な経済予測よりもすぐれているはずです.残念ながら,そういう話はこれまで聞いたことがありません.とすると,やはり経済学はアリストテレス的というべきか,ユークリッド的というべきか,演繹が主であり,あまり現実とは関係していない,ということです.


つまり経済学がそれなりに人びとから学問として見られるのは,残念ながら実証科学というよりも,むしろその数理的な演繹的な審美性のおかげです.経済ほどの複雑系に予測が成り立つのか? という疑問は当然に残るとしても,「経済学で予測ができない学問なら,それに何の価値が有るのか?」という功利的な反論は残ります.

なお,現在のマクロモデルがダメダメだからといって,貿易論などのミクロモデルもすべてダメかどうかはわかりません.いや,自由貿易が経済発展につながることは,少なくても「香港vs中国」「北朝鮮vs韓国」などから明らかであり,そうした歴史統計については,これまで無数の論文が出ています.しかしまた,それを信じないというのも,人びとや政治家,経済学者などの自由なところが,難しさを生み出しているように思います.


似たような話はたくさんありますが,例えば,先日の水泳を見ていると,「水の怪物」フェルプスが「吸玉療法」をしていることは明らかです.吸玉療法でさえもマイナスではなくて,プラスに出ている結果だと考えることができるということの難しさです.


人には見たいものを見る傾向があって,それを反駁するためには,ミクロな実験が必要ですが,国民経済の命題というのは,少なくとも,ある程度の大きさでなければ実験不可能だし,人びとは民主主義下では経済実験をする気は起きないだろう,ということになるでしょうか.



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