kurakenyaのつれづれ日記

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キャプラン「選挙の経済学」は正しいのだろうが、、、

機能は酔ってわけのわからないことを書いてしまい、どうもすいませんでした。さて小生は今日は、少しだけキャプランの「選挙の経済学」を読みました。去年、英語で読んだので、再読なのですが、、、(なお、訳がグチャグチャしていて、読みにくいのが残念です > 小生にも以下同文)なおmojixさんも本書について書いておられる。

http://mojix.org/2009/07/23/caplan_myth_of_rational_voter

キャプランは経済学者の持っている「合理的な個人」自体を否定していて、だからこれまでの公共選択理論も否定するわけです。あえて言うなら、「大衆は愚策をのぞみ、それを得る」というテーゼです。

行動経済学や、さらにそのベースとなる(と小生が考えている)進化生物学からすれば、反市場主義、外国人嫌いも、雇用の優先も、不思議でも何でもなくて、むしろ自然な人間行動です。経済学だけを読めば、これらはおかしいということになるかも知れないのですが、これまでの人類の獲得してきた知の集合全体からは、間違いなく人々はそういった行動をとっています。

おそらく経済や経済学の知識によって、それらを乗り越えることはできるのかもしれません。しかし、投票行動は集合材なので、自分の決断のコストは自分が負うわけではなく、学習をするインセンティブは起こりません。結局、投票を通じた政治活動においてこそ、共有地の悲劇が起こっているのだ、とキャプランは結論づけるのです。

小生もこの考えには同意せざるを得ないと思います。

しかし、ではどうすればいいのか?という段になると、そもそも人々の信じたい世界観への挑戦を含む経済学を、多くの人が受け入れないのは間違いないし、とすれば、その教育などはさらに難しいことになります。

結局は、民主主義によって決定される政府の権限を減らすということが望ましいのでしょうが、人々が市場へのより多くの政府介入を望んでいる以上、そんなことがそもそも出来るはずがないでしょう。

自由主義は八方塞がりのどん詰まり、というわけです。困ったこまった!