僕は「国家は、いらない」で
借地借家法が日本の住宅価格をバカ高くしてきたことを批判したが、
経済学のliteratureでは、この問題は長期契約関係の法と経済学と呼ばれ、
同じ問題には、労働契約の雇用者側からの破棄の禁止、というものがある。
この点の常識については、zopeジャンキーさんが
この問題のオーソリティといえる八田達夫教授の説明を解説している通りだ。
結構僕が面白いと思っているのは、
アメリカの法と経済学の主要テーマの一つとしては、リチャード・ポズナーが提起した、
「議会のつくる法は(経済的に)効率的ではないが、判例に示されるコモン・ローは効率的だ」
という命題についてだ。
これは英米法では起こりえるかもしれないし、
実際、効率的でない判決は何度もチャレンジされるので、結局変化するとか、
いろんな説明がなされてきた。
しかし、ベンサムを見てもわかるように、おそらくはイギリスでさえも
法律家がレトリック以外の審美眼を養っているとは到底思われない。
当然、日本では、こういった意見は聞かないし、
実際、借地借家法の判例群、利息制限法の判例群、雇用契約の判例群、
のどれを見ても、非効率に向かってどんどんと変化してきている。
判例に追随する形で、社会立法が形成されてきてさえいるのだ。
このことはあまりに明らかなので、日本の経済学者でこれを疑うものはいない。
というわけで、日本では「法律家 vs 経済学者」という構図が
アメリカ以上にはっきりしているため、法学者の主流はまったく経済分析を理解しないし、
そういった講座も法学部に全くないまに現在に至っているというわけなのだ。
僕はこれは、究極的な理由としては、
おそらく日本人の保守性と合理性への信頼の欠如ではないかと思っているが、
本当のところはどうだかわからない。
しかし、もっと至近の理由としては、
議論の伝統がないままに、学会のポストだけがコネで存在するためだとは言えそうだ。