kurakenyaのつれづれ日記

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「死に方」格差社会を読んでみた





ちょっと献本をもらったので,読んでみた.


高齢者医療のあり方や死生観をめぐって多くのことがかかれていて,エッセイとして読んでいて楽しい.ここでは,終末医療でどれだけお金を使いたいと思っているのか? という問題についてだけを繰り返したい.


「死に方」の格差というのは,つまり金持ちは望むだけの医療を受けることができるが,金がなければ,そして自発的な医療保険に入っていなければ,高額治療はうけることができない.そのため,スイスやオランダなどのように,苦痛のない自死を選ぶしかないということ.


現在の高齢者医療は2割負担であるにとどまらず,治療費の自己負担には上限がある.今後,2025年から高齢者割合のもっとも高まる40年にかけて,こうした優遇が現状の形で維持されることは現実的には想像できない.高齢者比率は上がり続け,先端医療の高度化,高額化が止まるはずはないからだ.


著者である富家さんも書いているようにが,つまるところ,どこか70歳程度以降の重大な病気(ガンや心疾患など)については老化現象であると諦めて,むしろそれと付き合って余生を生きるほうがいいということになる.もちろん,老老介護の問題もあるので,息子や娘に迷惑をかけたくないというような考えもありえるだろう.もし自分が生きることで財産が減少するだけでなく,子どもまでが疲れるのであれば,自死を選ぶというのは,少なくともオカシナ考えではない.


人はだれしもが死から逃れることはできない.それでも「大した出費もないままに,現代医療なら何かの手段を施してくれるだろう」という考えは,どうしてもケインズ主義の「無料のランチ」のように聞こえてくる.そうした考えもまた人間的とも言えるのかもしれないが,現実回避の底知れぬヌルさと気持ち悪さを感じるのは,僕だけではないだろう.


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