kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

尊厳死=安楽死を認めろ!

続き。

 

このポストは、ダラダラ行くので、ヒマじゃない人はすぐに読むのをやめてください。

 

昔から、尊厳死、あるいは安楽死を認めれば、少なくとも老後の医療費の心配、病気への恐れなどからは開放されると思っている。多分、リバタリアンは「自分の意志」「自由な意思決定」を重視するので、この考えは納得できるだろう。

 

ボクが知る限り、このことについて発信している物書きは橘玲さんだけ。

 

 

なんでスイス、オランダ、ベルギー、アメリカで認められているものが、日本では「臭いものに蓋をする」と言う態度で無視され続けているのか? ホントに理解に苦しむ。

 

まったく忌憚のない意見を。「尊厳死は、個人を人間として尊重するだけでなく、社会的にも医療費の抑制につながるために望ましい」のだ。終末期の医療なんて、せいぜいが半年くらいしか人生を引き延ばせない割には、ベッドに縛り付けての点滴・透析・酸素吸入で人間として扱われてもいない。そんなことを実行する資源があるなら、未来のある子どもの教育や保育費に回したほうがよいことは自明じゃないか? この論理が間違っているという人はいるのか?

 

ボクはたかが50代だが、緩和医療はさておき、80代の人間の医療費を国家的に補助する必要があるようには思えない。もちろん、全額を自費で負担してできるだけの医療を受けたいという金持ちには、それを実行する権利がある。つまり、80代になったら治療行為への公的医療保険の支出はすべてやめて、緩和だけにとどめるということだ。

 

橘さんじゃないが、なんでこういうもっとも重要な問題が、社会的にスルーされているのか? 超高齢化社会の日本では、この議論は待ったなしのはず。クソみたいな10万円バラマキの前に、ぜひとも実現してもらいたい。

 

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