kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

5章 生産構造をモデル化すれば

皆さん,こんにちは.


さて今日は5章について少し.


新古典派,つまり主流の経済モデルでは,“資本“というエントリーがあって,それは基本的には一種類です.通常のモデルでは,t期に資本であれば,t+1期には消費財に代わるか,あるいは再び資本を再生産します.


つまり新古典派のモデルでは,生産は1年しかかからないのです.基本どんな生産物でも1年で造られます.


しかしオーストリア学派の考えは,これと違って,「消費財ができるためには,数年=何段階かの変化が必要だ」といいます.例えば,クルマなら5年かえて,次第に資本が消費財に変化するのです.


別にモデルは現実そのものではないので,何を分析したいのか?に応じて変えるというので構いません.オーストリア学派の法が「現実」に近いのはまあ,確かですが,,,


さて,こうして段階を経ることの意味は,オーストリア学派の考えでは,どの段階にも資本家=企業があって,別の意思決定をしている.また別の会計と利益にしたがって活動をしている,というのが重要です.


このため,消費財が売れても,特に資本財を作っている企業は特に利益が急増しないし,逆もまたしかり.つまり資本財が分厚い生産構造を持っていることで,景気の良し悪しに相対的な違いが生じるのです.


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信用拡大は,主に資本財生産に使われるので,資本財の価格は上昇します.しかし人びとは消費を諦める気はないので,消費も加熱します.これが好景気です.信用拡大は好景気を生むのです.


これだけならいいのですが,経済が生産できる財の量は基本的に一定です(若干は,伸縮するでしょうが.)つまり資本財も,消費財も生産しようとすると,インフレがおきて早晩,インフレ開始前に銀行からの融資で開始された投資が回収不能になって,経済危機が生じます.


その後,この投資プロジェクトをゼロに戻して,資源を流動化させてもとに戻すための再調整が必要になり,これが不況だというのがオーストリア学派の経済循環理論です.

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新古典派=主流派には資本構造の概念はないのでこうした重層的・階層的な資本財のモデルはありません.マーシャル,フランク・ナイト,サムエルソンから現在のルーカスモデルまで,基本的には資本は一種類の財であり,生産は即時に完了するというワルラス一般均衡モデルを動学に単純に拡張したものが使われています.


うーん,この点は本当にモデルを勉強しないと,これ以上は説明できないのですが,,,
さて,こうしたモデルが違う場合,どちらが良いかというのは,抽象的に現実に似ているかどうかではなく,むしろ何を分析するのに役立てるのか?が需要です.


オーストリア学派の良さは,資本財に多層的な構造があるため,原材料部門の企業と消費財部門の企業では,景気の波を受ける割合が違っていることを説明することです.一般に景気の並みの影響は,原材料投資産業のほうが大きいようだからです.


ということで,現在の経済変動が銀行から起こっているという,オーストリア学派の考えは,もっと実証研究がなされるべきだと思うのですが,,,まあ,ほとんどされてませんね. あるモデルが別のモデルより優れているかどうかは,結局は実証的に決着するしかないはずなのに,,,


経済学の悪しき哲学的伝統が足を引っ張っているのでしょうね.もう一つは,経済学は所詮は,実験ができないのと,政治経済制度そのものが公共財なので,自分一人で良い制度というものを創ることができないことです.僕だけが良いモデルを作れるなら,それは僕が儲かる,というなら良いのでしょうか,,,

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いや,待てよ,ある程度は儲かる可能性はあるだろう.上記の資本財価格の相対的な変化を利用して経済循環の局面を読めるなら,,,,,



ではまた明日.