前に書いたことですが,1969年のロスバードの小著『経済不況:その原因と処方箋』を翻訳しました.
もとのファイルも公開されています.
http://rothbard.altervista.org/essays/economic-depressions.pdf
というわけで,ミーゼス理論は1970年代にはルネッサンスを迎えるはずだったのですが,,,
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経済不況 その理由と処方箋
マレー・ニュートン・ロスバード (Mises Institute)
http://rothbard.altervista.org/essays/economic-depressions.pdf
(このエッセイは当初ミシガンにあるConstitutional Alliance of Lancing社から1969年に小冊子として出版された.またアラバマにあるMises Instituteから出版された,リチャード・エベリングの編集したThe Austrian Theory of the Trade Cycle and Other Essays (2006)にも掲載された.)
・・・政府による介入と励行がなければ,銀行は協調的に信用を拡大することは決してできないのである.ロスバード
我々は婉曲表現の時代に生きている.葬儀屋は”送り人”になり,通信社は“対外関係カウンセラー”に,清掃員は“管理者”と呼ばれる.日常のすべてで,単純な事実が分厚いカムフラージュに覆われているのである.
これは経済学においてもまったく同じだ.かつてはほとんど周期的な経済危機に苦しみ,突然に取り付け騒ぎ,つまり”パニック”が起こり,それに続く経済の谷間は“不況”と呼ばれた.
現代社会で最も有名な不況は,もちろん,1929年に起こった金融恐慌であり,それは第2次世界対戦まで続いた.1929年の悲劇の後,経済学者と政治家はこうしたことが二度と起こさないと決意した.最も簡単なやり方は,単に”不況“は存在しないと定義することであった.この後,アメリカは不況に苦しむことはないことになった.なぜなら,次の大きな不況が1937−38年に来ると,経済学者は不況という恐ろしい名前を使うことをやめて,景気後退という耳あたりの良い,新しい単語を創り出した.それ以降,数多くの景気後退が起こったが,不況は一度もない.
しかし,間もなく”景気後退”という言葉もまた,繊細なアメリカ国民にとってはあまりに厳しく響くようになった.最近の景気後退は1957−58年であったようだ.なぜなら,それ以降は“後退局面”,さらに“景気減速”,”停滞“しか起こっていないからである.素晴らしいことに,これからは不況も景気後退も経済学者の語彙からは追放された.これから起こりえる最悪の事態は,”景気減速”なのである.これが”新しい経済学”の素晴らしさというものだ.
過去30年,この国の経済学者は,イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズの経済循環論を信奉してきた.彼は1936年に『雇用,利子,および貨幣の一般理論』を著し,ケインズ主義,または”新しい経済学”を創り出した.ケインズ主義の好不況に対する見方は,図表,数学,専門用語に隠されてはいるものの,単純主義的であり,幼稚でさえある.もしインフレが起これば,その理由は市民による”過剰消費“にある.経済を規制し,安定化させる役割を担う政府による処方箋は,経済に介入し,税金を引き上げて”過剰な購買力を吸い上げ“,人びとの消費を減らすことである.反対に,もし景気が後退すれば,民間消費が過小であるのだから,政府の処方箋は,望むらくは赤字によって政府の支出を増やして,経済の総支出を増加させることだ.
政府支出の増加や大量の資金供給は“経済にとって望ましい”,そして支出の削減と資金供給の減少は“悪い”という考えは,もっとも保守的な新聞や雑誌にさえも行き渡っている.そうしたメディアでは,一方では不況,また一方ではインフレの谷間に落ち込まないように,うまく経済を導くことは連邦政府の聖なる役目だと当然だと考えているのである.なぜなら自由市場経済は,そうした悪い状況に陥りがちだと考えられるからだ.
現在,すべての経済学派がこうした同じ態度を持っている.例えば,ニクソン大統領の経済諮問委員会の議長になったポール・W・マクラケン博士の見方を見てもらいたい.議長に就任して間もなくニューヨーク・タイムズのインタビュー(1969年1月24日)で彼は,政権が直面している重要な経済問題について次のように明言している.「どうやってインフレを低下させつつ,同時に容認できないほどの高い失業率を回避するかです.つまりもしインフレを沈静化させたいなら,それは可能です.しかし私たちは高い失業率を容認することはできません.」そしてまた「ここでは舵取りが重要になります.私たちはこれまでうまくインフレを抑えた経験に乏しいのです.1957年には急ブレーキをかけてしまい,当然のことながら,経済には大きな失業が生じてしまいました.」
マクラケン博士の経済への態度を見てもらいたい.驚いたことに,それは今日のほとんどすべての経済学者に共有されている.経済は潜在的には機能するものであるが,しかし常に厄介で非協力的な患者のように扱われており,常にインフレや失業へと落ち込む傾向があるというのである.政府の役割は賢明な管理者・医者であり,常に経済という患者がうまく機能するように警戒し,治療し続ける.ともかくも,ここでは経済という患者は明らかに,政府という“医者”の支配下にある.
こうした態度や政策が“社会主義”と呼ばれたのは,それほど昔のことではない.しかし私たちは婉曲表現の世界に生きており,そうした態度ははるかに優しい言葉で呼ばれている.”経済調整“,”啓蒙的自由企業”などの表現に,慣れてしまった.
それなら,周期的な不況の原因は何だろうか? 好不況の理由については,不可知なままでいなければならないのだろうか? 経済循環が自由市場経済に奥深く根ざしたものであり,経済を安定させるには政府による計画が不可欠だというのは本当なのだろうか? 好況と不況は気まぐれに起こっているだけなのか,それともある局面は別の局面から必然的に生まれてくるものなのか?
実際,経済循環に対しての態度で現在人気のあるものは,カール・マルクスによるものだ.マルクスは,18世紀の終わり頃に始まった産業革命以前には,定期的な経済循環がなかったと考えた.王が戦争をはじめたり,家臣の所有物を取り上げたりすれば,突然に経済危機が起こったが,現代に特有の現象である,経済が拡大したり縮小したりすることはなかった.経済循環が近代産業とともに出現したため,マルクスは経済循環が資本主義経済に内在的な特徴であると結論したのである.各種の経済思想はすべて,その違いや経済循環の原因とかんがえるものの違いにかかわらず,一つの決定的な点で共通している.それは,経済循環は市場経済のどこか内奥から生じているという考えである.市場経済に責任がある.マルクスは,周期的な不況がますます悪化し続け,人民が反逆して体制を壊すことになると考えたが,現代の経済学者は,政府が経済循環をうまく安定化させることができると考えている.しかしどちらも,問題は市場経済の深くにあって,それを直すためには,なんらかの大規模な政府介入が必要であることに同意している.
しかし,市場経済が欠点なのだという前提には致命的な問題がある.なぜなら“一般経済理論”によれば,市場では常に需要と供給が均衡する傾向があるため,生産物や生産要素の価格は均衡点に向かうからである.常に生じている情報の変化でさえも均衡に達することはないことになるが,市場の一般理論には,繰り返される経済循環の波を説明するような要素はない.現代の経済学者はこの問題を”解く”ために,価格と市場の一般理論と経済循環の理論を完全に仕切って,一体のものであるというよりは,相互に無関係なものとして別々に取り扱う.残念なことに,経済学者は経済が一つであり,唯一の統合された経済しかないことを見逃している.経済生活においても,理論構造においても,水も漏らさぬ仕切りがあるはずがないし,そうあるべきでもない.私たちの経済の知識は統一された一体物であるか,あるいは存在しないかのどちらかである.しかし,ほとんどの経済学者は完全に別の,現実には相互に排他的な理論を,一般価格分析と経済循環に当てはめることに満足している.彼らがそうした原始的なやり方を続けることで満足する限り,彼らは純粋な経済科学者ではあり得ない.
しかし現在流行のアプローチには,さらに深刻な問題が存在する.経済学者が経済循環と一般価格理論を整理しようとしないために,彼らはある重要な点を見逃している.それは経済危機と不況時における起業家の果たしている機能である.市場経済でビジネスマンが果たすもっとも重要な機能は,“起業家”であることだ.それは生産手的な投資を行い,設備を買い,雇用をすることで,その見返りが確実ではない何かを生産する人のことである.つまり,起業家機能とは不確実な未来を予測することなのだ.生産への投資活動の前に,起業家,または”企画者”は,現在と未来のコストと未来の収入を比較して,投資がどの程度の見返りをもたらすかを推測する.もしうまい予測をして,他の競争相手よりもうまくやれば,投資から利益を得るだろう.予測がうまいほど,利益も大きい.もし反対に,よそくが外れ,商品需要を過剰に見積もれば,損失を出して廃業することになる.
市場経済は利益と損失の経済であり,起業家の洞察と能力はその損益で測られている.さらに市場経済は,その内部機構として,自然選択の仕組みを備えている.それは,より優れた予測者が生き残って繁栄し,劣ったものは消え去ることになるものだ.なぜなら,より良い予測者が大きいな利益を得ることで,そのビジネスは大きくなり,より多くの生産システムに投資が可能になるからである.その反対に,劣った予測者が何年か損失を出し続ければ,市場から完全に追い出されてしまい,単なる雇われサラリーマンにならざるを得ない.
もしそうなら,市場経済はその内部に,良い起業家の自然選択機構をもっていることになる.つまり一般的に,企業が損失を出すようなことは少ないと考えられる.そして実際に,日単位,年単位で経済を見渡すと,損失はあまり普通ではない.しかしその場合に,説明が必要となる奇妙な事実がある.それは,周期的な不況期が始まると,特に恐慌になると,多くの企業が突然に巨大な損失を出すようになるのかということである.それまでは非常に抜け目なく損失を避けて利益を上げて来た起業家が,突然にほとんど全員が深刻で,説明できないような損失を被るのだろうか? なぜなのだろうか? これは,不況の理論が説明しなければならない重大な事実である.消費支出が低下するという“過少消費”のような説明では,十分ではない.なぜなら,例えば,それまでの経済の変化や発展をうまく予想できたビジネスマンが,完全に破滅的に消費需要の落ち込みを予想できなかったということになるからだ.なぜ突然に予想できなくなるというのか?
不況についての適切な理論は,経済が好況と不況の連続を繰り返す傾向を持ち,スムーズな動きへと落ち着く気配がないこと,あるいは均衡状況と感がられるゆっくりとした成長するような状態に向かっていないことなどを説明しなければならない.特に,不況の理論は,経済危機の時点で突然に素早く起こり,不況時にまで継続する膨大な予想の誤りを説明する必要がある.そしてまた第3の普遍的な事実にも説明が必要だ.それは必ず好不況の波は,生産設備や機械,天然資源や工場設備をつくるような”資本財産業”においての方が,消費財産業よりもはるかに強烈で深刻な問題であることである.ここには,経済循環論で説明されるべき事実があり,明らかにそれは過少消費学説などの不況理論では説明不可能だ.過少消費理論は,消費財への支出が少なすぎるという.もしそうした支出不足が弱点なのだとすれば,不況期において消費財の売上の減少がもっとも少なく,工作機械や資本設備,建設や天然資源などの産業が直撃を受けるのだろうか? その反面,これらの産業こそが,経済循環のインフレ的な好況の局面で暴騰するのであって,消費財関連のビジネスではない.そうであるなら,適切な経済循環理論は,非消費財または”生産財”産業における,はるかに強烈な好不況を説明するものでなくてはならない.
幸いなことに,現在の経済学者からは一般的に無視されてはいるものの,不況と経済循環についての正しい理論は実際に存在している.それには経済思想の長い歴史もある.理論は18世紀スコットランドの哲学者・経済学者であるデイヴィド・ヒュームと,19世紀初頭のイギリスにおいて著名な古典派経済学者であったデイヴィド・リカードによって始まった.本質的に,こうした理論家たちは,18世紀の中盤からの産業革命に伴って,もう一つの重要な制度が発達してきたことを見出した.それは信用と通貨供給を拡大させる力を持った銀行制度である.(それはまず紙幣または銀行券の発行の形で始まり,後には普通預金,手形口座といった即座に銀行で換金できる形になった.)二人の経済学者にとっては,こうした商業銀行活動こそが,18世紀以降,人びとを悩ませてきた,繰り返される不可解な経済循環,拡大と縮小,好況と不況のカギなのであった
経済循環のついてのリカードの分析は次のようなものである.まず世界の自由市場において生まれた自然な通貨は有用な物質であり,通常は金や銀であった.もし通貨がこれらの商品だけにとどまっていたなら,経済は全体として個別の市場と同じように機能したはずである.需要と供給はスムーズに調整され,好不況の循環は発生しない.しかし銀行信用が注入されることで,重大な撹乱要素が生まれる.なぜなら,銀行が信用を銀行券や預金の形で拡大すれば,理論的にそれらは即座に金に引き換えることができるはずであるが,明らかに現実には不可能だからだ.例えば,もし銀行が1000オンスの金を金庫に保管しており,即座に引き渡すことを約した預かり証を金2500オンス分発行するとすれば,明らかに引き換える事ができる量よりも1500オンス分余計に発行したことになる.しかし人びとが一斉に銀行で預り証を現金へと“取り付け”しようとしない限りは,保管証は市場において金と等価であるものとして機能する.そのため銀行は,経済への通貨供給を金1500オンス分拡大することができる.
こうして銀行は気前よく信用拡大を始める.なぜなら信用拡大をすればするほど,自分の利益は大きくなるからだ.この結果,国内経済,例えばイギリスにおける通過供給は拡大することになる.イギリスの紙幣や銀行券の供給が増えれば,イギリス人の名目所得と支出は上昇し,イギリスの物価も上昇する.結果,国内ではインフレと好景気が起こる.しかしこのインフレ好景気は,良いことであるかのごとく進行するが,同時に自らの終焉へと向かう種をまく.なぜなら,イギリスの通過供給と所得が増加すれば,イギリス人は外国からより多くのものを買うことになる.さらに,イギリスの物価が上がれば,インフレを起こしていないか,あるいはインフレの低い外国の商品に比べて,イギリスの商品は価格競争力が失ってしまう.イギリス人は国内産よりも海外産を消費するようになり,外国人はイギリス産よりも国内産を消費する.その結果,イギリスの輸出が輸入よりも急減することで,貿易赤字が生まれる.しかしもし輸入が輸出を上回れば,それは通貨がイギリスから外国へと流出することを意味する.それは一体どういった通貨なのか? もちろんイギリスの銀行券や預金ではない.なぜならフランス人やドイツ人,イタリア人がイギリスの銀行に資金を置いておくのは無意味だからである.外国人たちは銀行券や預金を銀行に持ち込み,金と引き換えるだろう.こうしてイギリスのインフレが進めば,国外に流出する通貨は金なのである.しかしこのことは,イギリスの銀行信用という通貨によって,イギリスの銀行の金庫に保管されている金の量がどんどん縮小してゆくことを意味する.好景気が続くにつれて,前述の銀行は,例えば2500オンス分の保管証をさらに4000オンス分へと増やすが,金の保管料は例えば800オンスへと縮小する.このプロセスが加速するにつれて,最終的に銀行は怖気づくことになる.なぜなら,銀行は結局はその負債を現金化する義務を負っているのであり,その現金は負債が増加するに連れて急速に流出するからである.よって銀行は最終的に恐怖に駆られて,信用拡大を停止する.そして自分たちが破綻しないように,貸し出している融資を回収し始める.多くの場合,こうした撤収活動は,人びとが銀行の破綻を恐れる取り付け騒ぎによって生じる.人びともまた,国内の銀行の置かれた危うい状況が次第に気になり始めるからである.
銀行活動の縮小によって,経済の構図は反転する.好況に続いて,縮小と暴落が訪れる.銀行は慎重になり,企業は融資の返済や縮小のプレッシャーが高まって苦しむ.通過供給の減少は,今度はイギリスの物価水準を低下させることになる.通過供給と所得,物価が低下するにつれて,イギリスの商品は外国産の商品よりも魅力が高まるため,輸出が輸入を上回って貿易黒字になる.金が国内に流入することによって,銀行券の量が減少すると同時に金の保有量は高まり,銀行の状況はずっと健全になる.
これが,経済循環の不況局面である.それは必ず事前の信用拡大の好景気の後に来るものであることに注意してもらいたい.不況段階を生み出すのは,それに先立つインフレなのだ.例えば,不況とは,経済が以前のインフレ好景気から生じる過剰や歪みから立ち直り,健全な状態に戻るプロセスだと捉えることができるだろう.不況は以前の好況からの過剰と歪みを解消する不快ではあるが,必要な反応なのである.
では,なぜ次の循環が生じるのだろうか? なぜ経済循環は常に繰り返されるのだろうか? それは銀行が十分に立ち直って健全な状態に戻ると,そこからは銀行信用の拡大という自然な経路に向かうための自信も取り戻すからだ.そして次の好景気が始まり,その後の不可避的な不景気の種をまくのである.
しかしもし銀行が経済循環の原因であるなら,銀行もまた民間市場経済の一部である以上,やはり銀行を含む自由市場が問題であるとは言えないだろうか? その答えは,ノーである.なぜなら,政府による介入と促進活動がなければ,銀行は信用を拡大できないからだ.もし銀行が本当に競争環境にあるなら,ある銀行の信用拡大は,即座にその銀行が他行に負う負債を増加させてしまい,そうした他行からの現金引き出しを要求されてしまう.つまりライバル銀行は,外国人と同じように金や現金を引き出そうとするだけでなく,その行動ははるかに迅速なので,そこから生じるインフレは始まる前にツボミの段階で摘み取られてしまう.銀行が安心して協調的に信用を拡大できるのは,実際には政府の銀行である中央銀行が政府の業務を独占し,すべての銀行システムに政府からの特権が与えられる場合だけだ.中央銀行が設立された場合だけ,銀行は好きなだけ信用を拡大し,現代世界でおなじみの経済循環が繰り返されるのである(イギリスでは,政府によって設立された中央銀行であるイングランド銀行がロンドン地区での通貨の独占的発行権を持っている).あるいは,民間銀行に対して,現金の保有場所として強制的に利用させる(ちょうどアメリカでの連邦準備理事会のように).銀行はこうした活動に文句を言わない.なぜなら,中央銀行があってこそ,長期間にわたって信用拡大を続けることができるのであり,中央銀行券は銀行システム全体にさらに現金を加えることで,すべての商業銀行が一斉に信用拡大に走ることが可能になるからだ.中央銀行はちょうど都合の良い,信用の拡大に向けた義務的な銀行カルテルとして機能しており,中央銀行券があることで,金に加えて通貨が増加し,それによってさらなる信用拡大が可能になる.
こうしてついに,経済循環は市場経済の不可解な欠陥によるのではなく,その反対であることあ分かった.つまり,市場プロセスに対する政府のシステマティックな介入である.政府介入は銀行の信用拡大とインフレをもたらし,インフレが終わる際には,続いて不況による調整が始まる.
経済循環のリカード理論は,循環理論の正しい本質を言い当てている.循環の局面が繰り返されること,また不況とは市場自体から生まれるというよりは,政府介入に対する市場の調整であることである.しかし,まだ二つの問題が説明されていない.なぜ突然に起業家たちは予想を誤り,その機能を失うのか? なぜ生産財において,消費財産業よりもはるかに大きな変動が生じるのか? リカード理論は一般的なビジネスにおける物価水準を説明するだけだ.そこには,資本財産業と消費財産業の大きく異なる反応を説明するヒントは存在しない.
経済循環の正しく,かつ完全な理論は,オーストリア学派の経済学者であるルードヴィッヒ・フォン・ミーゼスによって見出され,定式化された.それは彼がウィーン大学の教授であった時期である.ミーゼスは経済循環の重要問題への答えのヒントを発見し,それを1912年の記念碑的著作『通貨と銀行信用の理論 The Theory of Money and Credit』に著した.この本は,ほとんど60年経った現在でも通貨と銀行についての最高の著作である.ミーゼスは彼の循環理論を1920年代に発展させたが,それが英語圏にもたらされたのは,彼に続くフリードリヒ・フォン・ハイエクによってであった.彼は1930年代の初頭にウィーンからロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに赴任し,英語とドイツ語で2冊の本『通貨理論と経済循環 Monetary Theory and the Trade Cycle』『価格と生産 Prices and Production』を書いてミーゼスの循環理論を適用・発展させた.ミーゼスとハイエクはオーストリア人であり,彼らは19世紀のオーストリア経済学の伝統を踏まえていたため,この理論は一般に経済循環の“オーストリア”(あるいは”通貨の過剰投資”)理論と呼ばれるようになった.
リカードやオーストリア経済学に基づくと同時に,彼自信の創造的な天才によってミーゼスは次のような経済循環理論を打ち立てた.
銀行信用の拡大がなければ,自由な価格システムによって需要と供給は均衡する傾向があるため,好不況の波は生じない.しかし政府が中央銀行を通じて,中央銀行券と民間銀行の現金残高を増やすことで,銀行信用を拡大するように仕向ける.銀行は信用を拡大し,支払い口座預金の形で経済の通過供給は増加する.リカード主義者が理解したように,こうした銀行通貨の増加は物価を押し上げてインフレを起こす.しかしミーゼスが示したのは,それだけではなく,さらに不吉なことが起きていることだ.経済に新しいローンを注入することによって,信用拡大は経済の利子率を市場レヴェルよりも人為的に低下させる.
完全に自由な市場においては,利子率は純粋に,すべての経済構成員の持つ”時間選好”によってのみ決定される.なぜなら,ローンの本質は“現在財”(現在使うことのできる金銭)を”未来財”(未来の特定時点で使うことのできる借用証書)と交換することにあるからだ.現在の金銭は同額の未来の金銭支払いの見込みよりも好まれるため,市場における現在財は常に未来財よりも高く取引される.そのプレミアムが利子率であり,それは人びとがどれほど現在を未来よりも重視している程度によって変化する.つまり,彼らの時間選好である.
人びとの時間選好はまた,彼らがどれだけを貯蓄・投資して,どれだけを消費するかを決定する.もし人びとの時間選好が低下する,つまり現在の未来に対する選好が下がれば,彼らは現在の消費を減らして,貯蓄と投資を増やすだろう.同時に,同じ理由から利子率,つまり時間割引率もまた低下する.経済成長は主に,時間選好率の低下によってもたらされる.それは,貯蓄と投資を消費に対して増やして,利子率を低下させるからである.
しかし時間選好が下がって貯蓄が増加したからではなく,政府の介入によって銀行信用が拡大されたことによって,利子率が下がる場合には何が起こるだろうか? 言い換えるなら,もし利子率の低下が,人びとの消費選好と価値観の変化から生じる自然なものではなく,政府介入によって人為的に引き下げられたものであったなら,どうだろうか?
その結果は,大きな問題が生じることになる.ビジネスマンが利子率の低下を経験する場合,それに対しても市場からのシグナルの変化と同じように対応するし,そうしなければならない.彼らは資本財や生産財に,より大きな投資をする.特に長期間を要するプロジェクトへの投資は,以前には割に合わないものであっても,利子率の低下によって利益が出るように見え始める.つまりビジネスマンは,本当に貯蓄が増加したかのように反応する.彼らは消費財の生産に比べて,耐久財,資本財,産業用の原材料,建設などへの投資を拡大させるのである.
つまり企業は,新しく低金利で供給される銀行通貨を気前よく借り受ける.彼らは資本財投資に金を使い,そうした金は,資本財産業での土地の賃料や労働者への高い賃金を引き上げることになる.企業からの需要の増加によって賃金は高まるが,企業は高くなった費用も支払うことができると考える.なぜなら,政府と銀行からの金融市場への介入によって,市場での利子率というシグナルに対して,決定的に重要な改ざんが生じるからである.
労働者や土地の所有者が新しい銀行通貨を使いはじめると,すぐに問題が生じる.ここで,企業の総所得のほとんどは賃金になっているため,主に労働者が重要になる.人びとの時間選好は実際には低下していないために,彼らは貯蓄を増やそうとは考えていない.そのため労働者は新しく得た所得を使い始める.つまり,それまでの消費と貯蓄の比率を維持する.このことが意味するのは,支出が消費財産業へと戻ってくること,そして新しく製造された機械や資本財,原材料などを買うためには,貯蓄と投資が十分ではないことである.これは突然に,資本財産業での大きく継続的な不況へと発展する.一旦,消費者がもとの消費・投資比率を回復すると,企業は過大な資本財投資と過剰な消費財投資をしていたことがわかる.企業は政府介入から生じた人為的な利子率の低下という改ざんに誘惑されて,投資に回せる貯蓄が現実よりも多いかのように反応した.新しい銀行通貨が経済に注入されて,消費者が以前の比率を回復するやいなや,すべての生産財を買うためには十分な貯蓄が存在せず,企業が使える貯蓄量を誤って投資されたことが明らかになる.企業は資本財に過大な投資をして,消費財に過少な投資をしていた.
こうしてインフレ好景気は価格と生産システムに歪みをもたらす.資本財産業における賃金と原材料価格は好景気のうちに引き上がり,消費者が以前の消費・投資の選好を明確にすると,割にあわないほど高くなる.“不況”とは,市場経済が不健全で割に合わない投資を流動化し,泥沼から抜け出すための必要かつ健全な局面として捉えられる.それはまた,消費者が本当に望んでいる消費と投資の比率を回復する.不況は苦痛を伴うが,好況時の過剰や誤りから抜け出して,消費者に対して市場経済が効率的に機能するために必要なプロセスなのである.好況期に生産要素価格は引き上げられるため,資本財産業での賃金や物価は,適正な市場の関係が回復する程度にまで下がる必要がある.
労働者は新規通過を高賃金としてかなり迅速に受け取るのに,好況が何年も続くのはなぜなのだろうか? なぜ不健全な投資や市場シグナルの改ざんによる誤りが明らかになり,不況による調整プロセスが始まるまでに何年もかかるのか?その答えは,もし銀行信用の拡大と,それに続く自由市場を下回る利子率の引き下げが一度きりのものであるなら,好景気はとても短いだろうというものである.しかし重要なことは,信用拡大は一度きりではないということだ.それは長期間続き,消費者に消費と貯蓄の比率を確立するチャンスを与えず,資本財産業でのコストの増加をインフレに追いつかせない.馬が繰り返しドーピングを受けるように,銀行信用の刺激を受けて好況は続き,不可避的な報いが生じるのを引き延ばす.銀行が不安定な経営上用になるか,あるいは人びとがインフレの進行に尻込みし始めることで銀行信用の拡大がついに終わった時,初めて好景気の反動が押し寄せてくる.信用拡大が止まるやいなや,それまでの費用を支払う必要が生じて,避けられない調整によって,好況時の不健全な過剰投資が流動化され,その結果消費財生産に対するより多くの資源配分が回復する.
こうして経済循環のミーゼス理論は,すべての謎を説明する.循環が繰り返される性質,起業家の大きな誤算,生産財産業におけるはるかに強烈な好不況の波.
そしてミーゼスは,インフレ的な銀行信用の拡大が政府と中央銀行の介入によって推進されたことが,経済循環の責を負うと指摘する.ではミーゼスは,一旦不況が訪れると政府は何をすべきだといったのだろうか? 不況への処方としての政府の役割は何なのだろうか? まず第一に,政府はインフレをできるだけ早く収拾しなければならない.それは不可避的にインフレ好景気を突然に終わらせることになり,避けられない経済の後退と不況を生み出すことは事実である.しかし政府がそれを引き延ばせば引き延ばすほど,必要となる再調整は悲惨なものになる.不況の再調整が早ければ早いほど,事態は良くなる.このことが意味するのは,政府は不健全な企業状況を下支えしようとすべきではなく,経営危機にある企業に資金援助・融資をしてはならないことだ.そうした行為は苦痛を長引かせ,急速な不況局面を長引く慢性的な症状へと変えてしまう.政府は賃金や生産財価格を維持しようとすべきではない.そうした活動は,調製プロセスを長引かせ,無限に遅らせることになる.重要な資本財産業において大量の失業と不況を長引かせるのだ.政府は不況から逃れるために,再びインフレを起こそうとすべきでない.なぜなら,もし仮にインフレが続いたとしても,その後の困難が深刻化するだけだからだ.政府は決して消費を奨励すべきではないし,その支出を増やすべきでもない.なぜならそれは,社会の消費・投資比率をさらに層化させるからだ.事実,政府支出の切り下げは,この比率を低下させる.好況時における過剰な投資を活かすために経済が必要としているのは,単なる消費支出ではなくて貯蓄の増加なのだ.
よって不況のミーゼス的な分析によれば,政府がすべきことはまったく存在しない.経済の健全化とできるだけ早期の不況の脱出のためには,政府は完全な”レッセ・フェール”政策の従い,事態を見守るしかない.政府が何かすれば,市場の調製プロセスを遅らせ,阻止してしまう.政府が何もしなければ,市場の調製プロセスは迅速に働き,健全な経済の回復が実現する.
よってミーゼス的な処方箋は,ケインズ的なものと正反対である.政府は完全に事態を見守り,自らがインフレを起こさないこと,支出を減らすことに専念する.
現在では経済学者の間でさえも完全に忘れられているが,不況に対するミーゼス的な説明と分析は1930年代の大恐慌の時代には広く受け入れられた.自由市場を養護するものに対しては,レッセ・フェール的な資本主義の終末的な,最大の失敗こそが大恐慌だとされている,その次代にである. 1920年代の西洋世界の全般で起こった巨大な銀行信用の拡大によって,1929年は不可避であった.それは西洋の政府,中でもアメリカの連邦準備理事会が意図的に選んだものであった.それは西洋社会が第一次世界大戦後に金本位制に戻らなかったという失敗の結果であり,それによって政府のインフレ政策に対して大きな余地が残されたからである.現在の人びとは,クーリッジ大統領がレッセ・フェールと市場経済を盲信していると考えているが,彼はそうした人物ではなかったし,特に通貨と銀行信用の分野ではまったく市場を信じていなかった.残念なことに,クーリッジの介入政策から生じた失敗と罪は,当時存在していなかった自由市場に向けられてしまった.
もしクーリッジが1929年を不可避なものにしたのなら,フーヴァーが不況を長引かせ,深刻化させたのである.それは典型的に見られる突然ではあるが迅速に解消する不況を,長期的でほとんど致命的な病にした.その致死的な病は,第二次世界大戦のホロコーストによってのみ“治癒された”のである.フランクリン・ローズヴェルトではなくて,フーヴァーこそが”ニューディール”政策の創始者であった.それはまさにミーゼス理論が警戒すべきだとした政府による大量介入であり,市場レヴェルを超えた賃金・物価の維持と,銀行信用の拡大とそれによる危険な企業への融資である.ローズヴェルトは,単にフーヴァーが始めたことを大きく進めたに過ぎない.その結果は,アメリカの歴史において初めての,ほとんど永続するような不況と大量失業だった.クーリッジの危機は,先例を見ないほど長期のフーヴァー・ローズヴェルト不況になったのである.
ミーゼスは,1920年代の偉大な好景気時代の最中に不況を予測していた.それは現在と同じように,経済学者や政治家が“ニュー・エコノミクス”の武装をもって永久にインフレを促進し,連邦準備理事会による新たな”ツール”をもって,賢明なるワシントンの経済学者によって永遠に繁栄する”新世紀”を宣言した時だった.ルードヴィッヒ・フォン・ミーゼスは,その正しい経済循環理論によって大恐慌を予測した数少ない経済学者の一人となり,世界は彼の意見に傾聴せざるを得なかったのである.フリードリッヒ・フォン・ハイエクがその理論をイギリスに広め,1930年代の若手イギリス人経済学者はすべて,その不況分析にミーゼスの循環理論を取り入れ始めた.そしてもちろん,その理論的な帰結としての,厳格な自由市場政策を採用したのだ.残念なことに,経済学者はケインズ卿によって広まった,「”古典派”は1936年にケインズが登場するまで経済循環理論を持たなかった」という歴史的な認識を受け入れている.実査には,不況の理論は存在したし,それは古典派の伝統の中にあり,その処方箋は厳格な現物通貨制度とレッセ・フェールであった.それは即座にイギリスだけでなく,アメリカにも経済循環理論として受容された.(特に皮肉なのは,初期から1930年代半ばまでのアメリカでの主要な”オーストリア学派の“主導者はアルヴィン・ハンセン教授だけであり,彼はすぐにケインズ主義者になったことである.)
ミーゼスの循環理論が受容されるのを圧倒したのは,まさに“ケインズ革命”であった.それは1936年の”一般理論”の発刊についで即座に起こった経済学会の驚くべき変容であった.それはミーゼスの理論は反証されたのではなく,ケインズ主義の突然の流行りの中で単に“忘れられた”のである.ミーゼス理論に従った学者たちは,明らかにケインズ主義者たちよりも知的であったにもかかわらず,新しく確立した学説の流れに迎合してアメリカの主要な大学のポストを獲得した.
しかし今,かつてケインズ主義的な主張をしていたロンドンの雑誌「エコノミスト」は,最近になって“ケインズは死んだ”と宣言している.何十年にもわたる痛烈な理論的な否定と,はっきりとした経済的事実による反証の末に,ケインズ経済学は一般的かつ大きな後退を余儀なくされているのである.そしてまた,通貨供給と銀行信用が経済循環に対して主要な役割を果たしていることは,しぶしぶではあるが再認識され始めた.時は満ち,ミーゼスの経済循環理論は再発見され,ルネサンスを迎える.状況の変化に早過ぎるということはない.大統領の経済諮問委員会などというものが解散すれば,政府は経済の領域から大きく撤退することになるだろう.しかしこうした事態が生じるためには,経済学の世界と人びとが経済循環の説明が存在し,それがあまりにも長年の間,悲劇的に忘れ去られていたことを理解しなければならないのである.
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