kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

子供につけを回さない

こんにちは。

 

今日は友人と「子供につけを回さない」という話題について、少し考えてみた。

 

 

これは当然、「国債発行によって財政financeするのはやめろ」ということなのだが、考えてみると、やや複雑でもある。2つの可能性がある。

 

  • 子供(未来)の労働を、親(現在)の世代が直接的に取り上げて(搾取して)いる。
  • 親の世代が貯蓄しないので、子供の世代に資本(財)を残さない。

 

の2つ。

 

国債を発行することは、現在の世代の個人にとっては貯蓄である、あるいは社会的には誤認される。実際は何も生産財(資本)に投資されていないが、個人にとっては老後の生活費としては、同じ役割を持つからだ。この場合、現在世代の老後は未来の世代の労働に換金されるので、1は成り立っている。

 

国債を発行すれば、本来なら株式や社債などによって資本財として実現したはずであった貯蓄が、国家による未来世代からの取り立てという「約束」というになってしまう。これは2が成り立つことを意味する。(気が向いた人はRobert Barroの1974年の古典的な論文参照してください。もっといろいろと条件を加えてモデル分析も可能でしょう。)

 

ということなら、国債の発行よりも望ましいのは、MMTのように「今すぐ通貨発行とインフレによってfinanceすべし」ということになりそうだ。とは言っても、日本の現在のように通貨量の増大とインフレの間にはラグもあるので、その関係もはっきりしない。

 

結論としては、やはり均衡財政が望ましいという常識に行き着くと思う。何と言っても、自分が老後のために貯蓄をしているのなら、それは未来世代の生産性に直結(資本投資、あるいは研究投資)していなければ、全体として意味がない。

 

ということで、皆さん、国債を買うのはやめて、(リスクはあるが)株式に投資しましょう。

 

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