kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

古都への旅行

今日,長浜あたりで鈍行列車に乗っていたところ,大学生風の韓国人旅行者の3人組と隣り合わせた.彼らは京都に向かっているという.それを聞いて,ふと自分自身も学生時代に,キョンジュ(慶州)の仏国寺に行ったことを思い出した.


仏国寺(ブルグクサ)というのは,新羅時代に建立された壮大な仏閣で,日本で言えば,東大寺か,四天王寺か,というような位置づけにあった護国寺だ.秀吉の文禄の役で侵略した日本軍に焼き討ちにされた後,長い間忘れ去られていたのを,近世に入って(どれだけか)復興したものだ.


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%9B%BD%E5%AF%BA


比叡山の焼き討ちがあった戦国時代では当然とも言えるのだろうが,ボクの正直な感想としては「これは申し訳ないことをした」という感が否めなかった.(もちろん,ハードコアなリバタリアンは,個人責任以外の集団責任を道徳論として認めないので,この感覚それ自体がcollectivismに基づく,倫理的誤謬であることになりますが.)


ちなみに,日本人であれば誰しも425年前には,2^17=13万人ほどの祖先がいる.そうすると父親だけが従軍しているにしても,6万人ということになり,おそらく1人ぐらいは日本軍にいただろう.別の計算をすれば,文禄の役には宇喜多秀家以下16万人が従軍したというからには,その3万倍とは4億人以上であり,つまりは現在の日本人のほとんどすべてが,その子孫になっているはずだ.


誰しも自分や自分の先祖がしたことが悪かったとは思いたくないし,できるだけそうした側面を見ないようにする.それは進化的な適応戦略であることもまちがいない.従軍慰安婦強制ありやなしや? あるいは南京大虐殺の人数いかん? そうした批判はあるし,まったくもって共感するが,それにしても(戦国好きのだれにとっても)日本軍の蛮行・悪行も客観的なところで知っておいても悪くはないだろう



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