kurakenyaのつれづれ日記

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誰が数学を学ぶ必要があるのか?

今日は2つ話題があって,ひとつはセンター入試が変わるようになったということ.


http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20141222-00000045-nnn-soci


方向としては,SATのように割りと単純なテストを繰り返し受けることができるという.「一発入試が良くない」というのは,その通りで,何度も受けられれば,緊張度は下がるから,それ自体は望ましい.(ところで,単なるサラリーマン的には,この変更で出勤日が1日だけから3−4日になってしまう可能性が高いから,ボクにとっては,まったくありがたくない 笑)


さて,統計的に言えば,誰にとってもチャンスは増える.そのため,入試が複数回参加のオークション(の一種)になる.この結果,(確率分布における仮定にも依存するが)基本的には誰にとってもチャンスは同じになる.


「一発」ということ自体よりも,おそらく,知識を問う系列の問題ばかりというのが,ダメの元凶なのだ.たまたま中国から帰化した学生と長時間,話したが,彼いわく「中国での勉強は,中国語,英語,数学,物理,化学とあるが,すべてを覚えることが要求される,究極の詰め込み」なのだそうだ.


もう一つは,英語は外部の試験を取り入れるというものだが,保守派サンケイ新聞で,おもしろい反論を見つけた.


http://www.sankei.com/premium/news/141220/prm1412200003-n1.html


これはなるほど,その通りである部分もあるにはある.おそらく掛け算を超えた数学はほとんどの人間にとっては,実生活において,まったく無意味だ.同じように,どの国でも知的な水準が下がれば,職業は単純な作業になり,外国語は必要ではなくなる.で,だからといって,飛行機を作る人間も数学を学ばなくてもいいのか??


現代社会はひじょうに階層化していて,知的な水準に応じて,まったく異なった学習の必要がある.介護福祉士の業務に英語がいらないからといって,今後日本人の全てに必要ないわけがないだろう.


結局,人間は自分の学んできたことは大事だし,次世代にも伝えたいと感じる.その反面,学んでこなかったことは重要ではない,と考える傾向があるということなのだ.これが保守主義の本質なのだろう.政治活動は,不可避的に外部性が発生する.それでも,できるだけ中立的な制度を作ることはできるはずだ.自分の価値観を押し付けて,次の誰かの人生の可能性を少しダメにする(負の外部性),そういうのはやめようよ.



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