さて今日は,原日本語は2200年前の渡来民のものであったという,言語進化理論からの結論.
http://www.afpbb.com/articles/-/2798334?pid=7175562
これは昔から,埴原和郎さんが主張していた,二重構造論に近い.今さらという観もあるけれども,日本語の文法が韓国語と似ていること,また音韻は単純なオーストロネシア(南方系の諸島言語)に似ていることと符合する.2000年前以前の日本列島に住んでいた縄文人は30%程度のDNAを残したが,金属や稲作を持ち込んだ渡来人は70%を占めている.インド・ヨーロッパ語族でもそうだが,基本単語と文法はより硬直的で,考古学者Renfrewのいうところの支配階級のものを維持する傾向がある.そうすると,原日本人社会とは基本的に渡来人によるもので,それに各地の縄文人がわずかずつ混血していったと考えるのが自然だ.
あと日本人論に残された問題には,「縄文人は南方系だったのか,あるいは北方系だったのか」というのもあるが.これには,今どちらにも遺伝的な,あるいは考古学的な説得力がある.しかし,どちらの集団にしても,現在の中国人〜韓国人〜渡来人(新モンゴロイド)からの遺伝距離がかなり大きい.例えば,インカの末裔やアメリカ・インディアンとは新モンゴロイドは,30-13kyaに分離しているが,彼らアメリンディアンのほうが,外見からして,はるかにコーカソイドに近い.
あと,よくキルギス人は日本人と兄弟だというが,それは新モンゴロイドにどれだけかのヨーロッパ人,あるいは古モンゴロイドが混ざっているために,造形が似ているからだ.
http://kyrgyzstan.blog24.fc2.com/blog-entry-133.html
またシベリアで24000年前に生きていた遺骸の分析からすると,アメリンディアンとヨーロッパ人に共通の遺伝子は30%近くになる.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4105016/
おそらく,典型的な東アジア人(EDAR遺伝子が典型)というのは,外見的だけでなく,メンタリティーにおいて大分異なった存在であっただろう.一重まぶたやepicanthic fold,ネオテニー的な平板な顔つき,比較的に短い手足というような物理的な特徴だけではなく,知識を学ぶことにひじょうに熱心であり,同時に伝統こそが正当性原理だと考えるような心性.
ところで,いつものテーマに戻ると,なぜこの島の島民が論語や春秋を読む必要などあるのか? 単なる世間知,常識でしかない古典のいったいどこがありがたいのか? 純粋な古文は民族主義的な教育論もあるので難しいところだが,とにかく漢文,特に日本語にひらいて読むというバカバカしい教育はやめて欲しい.
古代中国語を日本語に無理やり開いてまで訓読する時間やエネルギーがあるなら,ラテン語でもやったらどうか? あるいは偏微分方程式でも,複素解析,ルベーグ積分,超準解析でもいい.なんでもいいから,本質的に無意味な日常知を,昔からのものだからといってありがたがるという=ハダカノオウサマはやめなければ,人間のエネルギーも時間ももったいないよ.
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