kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

邪悪な資本主義

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?


先日、朝日新聞の記者さんからの取材を受けた。一応、リバタリアンの端くれとして、ミルトン・フリードマンの意義についてだった。内容は通り一遍のもので、別に変わったことは言ってないんだが、その後、僕は前から考えていたことを思い出したので、ここに記してみたい。



「資本主義と自由」は彼の代表作だが、そこでは、資本主義は自由の前提として不可欠な制度であり、望ましいものなのだ、というテーゼが主張される。僕はこれに完全に納得しているが、それは僕が彼と同じく、功利主義者だからだ。



功利主義は結局、ある制度が何をもたらしてくれるか? という結果主義だ。



資本主義は確かに、金持ちの資本を増加させるために、貧しい労働者が働くという風に考えることもできる。あるいは、金儲けという自己目的のために人びとがアクセクと働かなければならない制度だ、とも考えられるだろう。



こうした資本主義への嫌悪感は、基本的に資本主義で人びとが働く「目的」が金儲けであり、自己利益であることから生じる。結果は良くても、その意図が良くないから、それは唾棄されるようなものなのだ。


共同体主義共産主義は、結果はみすぼらしく、惨めであっても、その意図は「公共のため」であり、「より高次の目的に資する」ものだ。ここに落とし穴がある。


人間はこれまで他人の邪悪な意図を感じて、それを罰するように進化してきた。だから、たまたま悪い行為の結果がいいものであっても、相変わらずその行為は罰せられねばならないと感じ続けるのである。


資本主義は、その「意図」が邪悪なのだ。だから、自分が税金で生きることのできる、政府に巣食う学者や、その外局に居候する学者にとっては糾弾すべき制度で在り続けるのだろう。この反対がプレジデントその他の経済誌だ。僕はダイヤモンドや東洋経済を読むと、その拝金的な記事や背景にうんざりすることも多いが、それは僕が政府の外局に勤める御用学者だからだろう 苦笑



しかし、人間の基本的な認識は40億年の進化の産物だ。カーネマンは、レベル1の思考は素早く、誰にでも共通するというが、それは資本主義の悪徳を直感させる。


レベル2は、もっと合理的な思考であり、時間がかかる。道理で、資本主義を功利主義的に礼賛するには、アダム・スミス、あるいはそれ以前のマンデヴィルというわずか250年前にまでしか遡れないわけだ。


自由貿易の利点は、確率論と同じように、レベル2の思考によってのみ理解できる。キャプランは、この点、IQが高ければ自由貿易を支持することを論文にまでしているが、実際、これは僕の実感からしても間違いない。


金儲けという邪悪な意図はだれにでもわかるが、その結果としての現代社会の豊かさは合理的な思考によって、産業革命以前の本当の悲惨な生活と比べなければならない。それはとても、とてもむずかしいのだろう。


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