kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

シナ文字学習に代えて英語を!

僕のゼミ生の一人が、大学院に行きたいと言ってきたので、それならぜひアメリカの大学院に行くべきだとアドヴァイスした。


アメリカの大学院はLaw school, Medical school, Business school 以外のすべての博士課程で、GRETOEFLの点数で学生を評価する。これはつまりLogic Verbal、Math という知能テストに加えて、英語Non Native の場合は、英語力をみるというものだ。

これが合理的なのは、人間の知性は、言語と論理、しかないということを完全に理解している点。


反対に、日本の大学院は、奇妙なコネ社会であり、客観テストがないから、バカな教員がバカを後継者に選ぶという、アジア伝統の学問の不毛傾向がある。


思えば、僕がセンター入試(当時の共通一次)で受けた内容も、今考えるとクソとしか言いようがない。日本の国語は、論理と語彙、共通の文化的な脈絡がごちゃ混ぜになったものでしかなく、まったく無意味な島の土人だけの「共通了解」を問う試験なのだ。


本来、学力試験というのはSATのように、数学と語彙、論理だけで十分で、このクソ狭い島で過去2千年に何が起こったかなど、まったく世界で活躍する際には意味がない。それをあたかも価値があるように教えている教師と、その背後の黒幕文科省こそクソだ。


LED研究の中村修二さんも、昨日の日経紙面で、高校以降の数学理科教育は英語でやるべきだ、それが日本の競争力を高めることになると主張してる。もっともだが、僕はもっと過激に漢字の廃止を訴えたい。漢字はシナ人のもので、日本のものではないし、いまや漢字を学ぶことは有害無益だからだ。


これまでの日本の麗しき伝統を理解するために必要だという意見はわかる。それでも、それも経済学者の立場からすれば、P/L分析するべきで、高校以降の高等教育は英語の教科書を使用しなければならないと思う。ちょうど、オランダ、北欧諸国のように、、、


そうすれば、かつて平安時代に和漢混淆文が生まれたように、今後はコンピュータ業界に見られるような和英混淆文が、今後の主流になるだろう。そもそも言語は世界の社会情勢と関連している。中国の文化や技術、科学のすべてには、何の真なる知は生まれていないが、英語文化はまだまだ学ぶべき知識を生み出し続けている。


そのことを、医学論文などの読めない官僚にもぜひわかってもらいたいし、一般も、世界で共通の人体器官、病名や物質名、部品名、があったほうが、よりよい社会になることを理解してもらいたい。


なんで、翻訳なんかというバカらしい作業が必要なのか? なんで医学論文の99,9%以上が英語の現代に、庶民はそれを読めなくていいなどと言うのか??


教育制度は国民に開かれたものであるべきで、それによって日本国粋主義を越えた知識を得られるようにすべきではないのか? シナ人のクソに習ってきた時代が千年続いたからなんだというのだ! 


意味のないことは反省して、これからこの島で育つ子どもたちのために変えなくてならない!


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