名古屋の市営地下鉄に乗ると、社会人ビジネススクールの宣伝が、いくつも貼ってある。中京大学だったかは、「出る杭になってうたれるか? 出る杭にもなれないか?」とか書けば、あるいは名古屋商科大学は、「できる人はウィークエンドを無駄にしない」だったか、とか言い合っている。
無論、東京メトロでも、こういった無意味な社会人ビジネススクールは花盛りだ。
さて、アメリカにはビジネススクールというのがあって、そこを卒業するのがビジネス・エリートへの道である。これは常識だが、では「なぜそうなのか?」という理由について、ボクは十分に納得できたことがない。
1、通常もっともらしい理由として、「ビジネス教育をしているから」というものがあるが、これは承服しがたい。なぜなら、ビジネスに学問はなく、その教育なんてないからだ!
そもそもビジネスのやり方に教科書はなくて、順につみあがるような(数学的、物理学的な)論理は全くない。おまけに事例研究なんかは、歴史学と同じで、知ってもクソの役にも立たない。そうでないなら、なんでユニクロが日本一になるのか??
経営学なんて存在しないのだ。ドラッカー、シックスシグマ、すべてがユング心理学、マルクス経済学そのもので、学問ではなくて、完全なポストモダン哲学であり、宗教なのだ。
さて経営学が存在しないというのなら、ビジネス・スクールとは何か??
2、ここで、合理主義ガチガチの経済学者の出番となる。
彼らは、「ビジネススクールというのは、単に高い能力をもっているというシグナルであり、(内容はくだらないが)たいへんな読書や課題を共にこなすことは、同じ釜の飯を食った同窓意識を生み出し、将来のCEO市場での転職を有利にするのだ」という。
この説明は大変にもっともらしいので、長い間ボクも信じてきている。
では、なぜ日本のビジネススクールが成功しないのか?
それは、日本では社長は組織の内部から昇進し、CEOの転職市場がない。よってビジネススクールで、コネを得る意味が存在しないことになる。同時に、日本のビジネススクールは、入るのが難しいところはないから、既存の大学序列を上書きするような、シグナルの意味を持っていないのだ。
アメリカのように、転職市場があるなら、ビジネススクールはシグナリングのために成立しえるが、日本では成立しない、というこの結論は、少なくとももっともらしいものだ。ではなぜ転職が日本で少ないのか?
ここで通常は、「文化」というマジックワードが使われる。もちろんこれはぼくは無意味だと思っていて、究極的には5HTTや、DRD4などの違いではないかと思っている。
余談になるが、日本の大学でビジネススクールなんて、そもそも意味があんのか?? ビジネスのエリートになるんなら、やっぱり英語で教育を受けなければ、世界と話ができないんじゃないのか??
ということで、日本の大学のビジネススクールの無意味さを、名古屋の市営地下鉄の宣伝を見て思うのでした。