このサイトの読者が、英語で言うtaleted or gifted であることは間違いない。そうした偶然の才能の付与は、早く走る才能や身長(95%以上が遺伝で決定されている)と同じで、努力ではなく、単に偶然に得られたものだ。
この点を強調すると、
http://super-economy.blogspot.jp/2011/04/iq-income-and-wealth.html
のような認識になる。著者は、知性と、それに伴う稼得能力が偶然の産物であるということを前提としても、それでも共同体に対しての、相互扶助の道徳的な責任を負うというリベラルの立場に立っている。僕は完全には同意できないが、それでも清々しい意見ではある。
結局、Hammermeshが言うように、イケメンや背の高い男性、あるいは美女は多くの収入を得ているが、それは知性をもって生まれたものと、その偶然性においては同じだ。
さて、もっと根源的な問いには、「人間は何のために生きるのか?」というものがある。
答えは、単に「より増殖に成功してきたものが、現在の人間の祖先なのであり、人生には客観的な目的など存在しない!」というものだ。これは一般の人たちに人気がない(あるいは理解不能な)のはわかるが、僕個人としては進化論的な客観的真実だと思っている。
では最後に、僕という個人は何のために生きているのか?
何のためでもない、ただ生きているだけだ。ちょうど、なぜ上野のパンダ シンシンが何のために生きているのか? という問いが無意味であるのと同じだ。(昔、仏教に造詣が深い、大衆作家である五木寛之さんの著作「大河の一滴」をよんで、合理性の極限である僕はますます混乱した www バク。)
結論:生存状態があまりに情けない状態にならないうちに、どうやって幕を引くのかの基準の設定、および方法が、現在から今後20年の課題だと思っている。
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