kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

英語で教育をしないとダメだろ

大学の9月入学が話題になっている。東大がやって、6大学が歩調を合わせれば、9月入学もありかもしれない。


しかし、誰でもわかっているように、日本の大学の問題はそんなレベルでは解決しない。9月入学になっても、日本で育たなかった外国人高校生が日本の大学に進学することはないからだ。


例えば、アジア人を始めとした世界からの学生を集めるために、授業はすべて英語でやるというのはどうか? 勉強にもいいし、将来の研究にも直結するため、一石二鳥だ。今時、大学卒の学生が英語の原点論文を読めない国なんて、日本ぐらいじゃないのか?? 


現に99,9%の数学、物理、医学論文は英語で書かれ、経済学でさえも、90%程度がそうだろう。重要度を加味すれば、ゆうに99%になるだろう。今時、世界の100分の一しか話さない土人の言葉で高等教育をするなんて、世界をなめてる!


しかし、うーん、どうせダメだろう。オランダのように小学校の時から日本語と同じように英語をやらなければならないが、現行の教育免許制では、海外でバリバリ働いてきたような人は、学校で教えることさえできない。英語の先生で、英語を使える人はほとんどいないのに。


まったくもって「教育免許」とは何か? 僕は高校時代に主に駿台代ゼミの参考書で勉強したが、高校の先生が特段に優れていた点はないと思う。現在でも、東京にあまたある市井の塾を見ても、そこで働いている先生たちは、あるいは公立学校の先生ほどには成績は良くなかったのかもしれないが、どう考えても、教育者としての資質に劣るとは思えない。現に皆がそう思っているからこそ、一流校への受験には塾通いが不可欠だと認識されているはずだ。


まったく、我々自身が、制度の怪物リバイアサンを創りだして、失われた20年を30年にし、停滞を促進しているのだ。。。


もちろん、僕は現状で満足だが、そうした既得権益がすべてをゆっくりとダメにして、壊死させているのだ。難しいものだ。