kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

自由のグラデーション

このところバカらしいことばっかり書いている感じなので、今日はもう少しマジメなことを。


真っ黒から白までの間に無限の灰色があって、そのグラデーションのどこかから白だと判断するようになる。それは人によって違うだろう。同じように、夜と昼の間に無限の朝焼けがあって、その時点のどこかから昼だと判断するようになる。それは個人の感覚に依存した判断である。


今日、たまたま19歳の大学生に、憲法での職業選択の自由、について、期末試験対策を教えることになった。試験の過去問を見て、日本の職業規制がいかに広範に行われているか、を再確認した。同時に、そういった職業規制は、ほとんどの日本人にとって当然のもので、問題視されていないこともまた確認された。


例えば、探偵業の規制のために、2005年に規制法ができている。消費者を守るため、個人情報を守るため、なのだそうだ。


どう考えるべきなのだろう??


無論、どちらの意味でもただのナンセンスだ! 僕は職業選択の自由は最大限に保証されるべきであり、それによって功利主義的な意味での幸福は増大すると信じている。しかし、残念なことに、事実としては、日本人の多くは、そうは思っていない。


自由よりも、各種の社会秩序、政府による秩序の維持を優先する。市場よりも、賢明な政府を信頼する。とはいえ、それでは中国がいいのかというと、そこまではいかないのだろうが、基本的には自由の行き過ぎは望ましくない、と感じている。


アバウトに言って、オランダ→アメリカ→・・・・ →日本→・・・ イラン→中国→北朝鮮、に至るまでの、どのような職業規制・表現規制の程度が適正なものなのか?


憲法の文言に同じことが書いてあるとしても、こういった規制に段階が無限にある場合については、結局は、個人的な感覚が、「どこが適正な自由の度合いなのか」を決定する民主主義的・究極的な要因となっているはずだ。


この前、collectivism vs individualism のグラデーションが、セロトニン・トランスポーター遺伝子5HTTLPRの長短によって決まっているというChao and Blizinskyの論文を前に紹介したと思う。アジア人はショートタイプが多く、不安を感じやすいのだ。同時に、他者の評価を気にしやすいcollectivisticな文化も持っている。


僕は個人としては、常識に比べて過剰な自由を求めているタイプだし、それは万人の利益にかなっていると信じているからリバタリアンなのだ。けれども、人びとのマジョリティが5HTTLPRのショートで、DRD4のショートリピート(2リピート)なら、アジアの人びとはヨーロッパ人よりも相当に不安症で、保守的であるはずだ。


とするなら、個人の多様な活動の自由は相当程度に制限されても、「現状は十分に自由である」感じられることになるだろう。


この点、帰結主義的に最適な自由度を説明するのは理論的には可能なのだろうが、現実には人びとは自分の感覚と異なっている意見を聞く気はしないだろう。この点が、僕に与えられた(あるいは不可能な)課題なのだろうと思っている。


コマった、コマった。