自民党の教育再生本部が考えるところでは、公務員試験にもTOEFLを必要とするだけでなく、私立文系学部にも数学を試験に加えさせるんだそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00000064-san-pol
僕はながらく国語の試験がクダラナさを指摘しているが、というわけで、TOEFLを採用するなんてのは結構なことだと思っている。だいたい、日本の中学の英語の先生が、どれだけの英語を話せるのか???
実は20年以上昔、高校時代に習った先生が、まったく本当の英語の本を読めないのだという事実を発見した時には、正直に言ってだいぶ驚いた。まあ、とはいっても、僕も経済学以外の論文を読むようになったのは、帰国してからだからテイタラク極まりない。
つまり、Pinker のBetter Angels や DiamondのGuns, Germs and steel みたいな全文明史的な言及をするには、英語の文献がネイティブで読めなければ 全然お話にならない。病原菌の名前なんか、日本人がLancet読むのは、すんごく苦労する >オレ
専門バカ以外が、他の領域の発展の常識を知るのに時間がかかりすぎれば、結局はそうした知識は届かないだろう。神経科学と内分泌学、遺伝学から経済学、人類学などを鳥瞰するには、どうしても英語は不可欠だ、、、、ザンネン
バカだ大学に数学がないのは、昔から大きな問題だとは思っているが、とはいえ、アメリカのジャーナリズムが特に日本のそれよりもヒドいとも思われない。結局、大衆的直感に訴えるためには、数学なんて不必要だということなのだろう。
さて、これに関して、最近思ったことがある。
退任教員の懇親会で、彼が岐阜県民論を語ったが、多くの同僚はなぜか賛成したり、反対したりしていた。僕はといえば、そんな会話に意味があるはずがないと、思っている。ので、黙って食べていた。
さて、おんなじ話は、「今年の新入生はbla bla bla 」という話にも当てはまる。200人も入学してくるんだから、どんなに目立つ奴がいたって、全体としては語るに足るほどの違いがあるはずがない。バカらしい話だが、カーネマンもそうした印象論は不可避だと言っていたっけな。
ところで、僕は今、日本人のr/K 戦略の違いについて、を調べている。これは簡単な話で、北にいる人ほど、知能も所得も身長も高く、犯罪、離婚は少ないというものだ。都道府県別に過去10年の政府統計を使ってみたが、ものすごい有意性がみつかって、自分でも驚いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/R-K%E6%88%A6%E7%95%A5%E8%AA%AC
今年の経済学会で発表しようと思ってはいるが、おそらくこうした本当の話はみんな怖くて聞きたがらない、あるいは批判されるんだろうな。それでも、くだらないケンミンショーは聞きたいというのだから、人間というのはフシギなものだ。
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