kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

科学は大停滞しているが、、、

電話口での友人いわく、


「科学の進歩は20世紀前半に比べて、トンでもなく遅くなってきている。これは驚きじゃないか!」


なるほど。


物理学では、19世紀の電磁力学、20世紀に入ると相対性理論量子力学など、飛躍的な発見が相次いだ。応用的に、電話が19世紀の終わりに出来たし、電信、電波通信と続き、20世紀中頃までには核爆弾や原子力発電までも可能になった。


その後、量子電磁力学や素粒子理論などが出てはいるが、それ以降は80年代に華々しく登場したストリングは、いまやウィッテンも見放したようだし、大統一は彼方に去ってしまったようでさえある。



技術史でも同じで、19世紀の終わりに飛行船ツェッペリン号がドイツ=ブラジルを飛ぶと、ライト兄弟によって飛行機ができ、ブラウン博士のロケットによって、20世紀の中頃には宇宙飛行ができた。


皆、この調子で行くと思っていたのだろう。どうりで、僕が小さい頃に読んだSFでは、光子推進や反重力の完成によって恒星間旅行が可能だったわけだ。(いうまもなく車輪のないクルマも)


予想と期待に反して、20世紀の後半は、世界の人々の生活水準は上昇し続けたが、画期的な理論の進展はなく、人間は相変わらず重力の井戸の底に這いつくばっている。核融合もできるできると言われながら、どんどんとその完成予想時期は遅れてきている。


確か、20世紀前半の多くの物理学者は核融合の完成で、電気なんてタダになるだろうと書いていた。なにせ太陽の力を手元にコントロールできるのだからウルトラセブンも超えるだろう!


同じようなことは医学でも言えていて、19世紀の終わりに細菌、20世紀にはウィルスが見つかり、20世紀半ばまでに抗生物質とワクチン、麻酔と外科手術が実用化された。衛生状態の改善と、腫瘍の外科手術ということになるだろうか。


しかし、その後はケネディ大統領だったかの「ガンとの戦い」の完全な失敗を始めとして、特段に画期的なことは起きていない。(ガンの変異遺伝子の知識は圧倒的に増え続けているが、、)


おおまかに言って、僕と読者の人生のなかで画期的だったのはコンピュータとインターネットぐらいではないだろうか? まあ、それも大したものでもないかもしれないが、、、、


さて、これらを前提として、何が言えるだろうか?


1,科学哲学の立場からは、前から思っていたことがある。


人間の論理能力は、現在の人間の知性(ニューロンの量と効率、それらの結合様式)を前提にしている。そして、20世紀の天才たちの理論は、たまたまその時代に、人間の知識が世界の記述に大まかに成功するレベルの極限に達したものなのではないか? ということだ。


クォークなどの理論、あるいはストリングなどは非常に高いトポロジーその他にわたる数学が必要だ。どのみち、アインシュタインファインマンもゲルマンもユダヤ人であり、おそらく人間が到達できる最高レベルの思索の結果が現在の物理理論だ。僕には十分に理解できないように、多くの人間の理解をすでに超えている。


あるいは自然は、はるかに美しい原理を隠しているのかもしれないが、それは未だ人間の理解を超えているのではないか? いつの日か(来世紀あたりか?)、遺伝子操作によってニューロン増強された人間なら、次の世代の理論を作れるのかもしれない。


おもしろい可能性は、そうした理論は本当は実在せず、すでにモデルとして近似できる物理世界は、これ以上には数学的には美しく記述できないというものだ。これは通常、物理学者は決して認めない(敗者の)理論だが、抽象的には、十分にありそうだ。(だれがハリ・セルダンのヨタ話の実在を信じるだろうか!)


2,物理学だけが好きな理系一辺倒の人はともかく、僕のような人間が驚くのは、むしろ大きな発見がないにもかかわらず、人類の生活は淡々と改善されている点だ。


小さな改善でも、数が集まれば、全体としての効率は上昇する。電気や自動車の発明ほどのインパクトはないが、効率は上がっていく。そういったのもまた、人類全体としてはそう悪くはないし、ありがたいものだということ。


とまあ、いくつか感じるところはあるが、みなさんもまた考えてみてください。