kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

アパルトヘイトの後

アマゾンが僕に薦めてきた本から The Cannibal's Pot という本を読んでみた。

http://www.amazon.com/Into-Cannibals-Pot-Lessons-Post-Apartheid/dp/0982773439/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1325953924&sr=8-1


内容を簡単にいえば、南アフリカアパルトヘイトをやめた94年から現在までに、白人が逆差別にあって、殺人からレイプ、公然強盗などのあらゆる暴力犯罪を黒人から受けるようになってしまった。また資本規制、職業規制にも affirmative action が蔓延して、南アフリカの農場から民間企業までが崩壊しつつあるという。まあ、ジンバブエを見れば、行き先は白人財産の没収と、貧困しかないということになるだろう。


著者は、アメリカが南アフリカと同じにならないようにと、affimative action の弊害、自由への不可避的な侵害性、財産権の自由の民主主義への優越、などを説く。なるほど確かなリバタリアン・ライターである。


この本では、いろいろなことが考えさせられた。


なかでも、著者の次の指摘には説得力がある。つまり、自由を重視する社会というのは、西洋の伝統の中から啓蒙主義と共に、自然に発生したもので、それをアラブやアフリカに移植しても、うまく機能しないということだ。実際に、機能している立憲民主主義は、ほとんどすべてが西洋人の社会で、後は、かろうじて極東にいくつかあるといえるか、、、


余談になるが、僕がいつも普通の人たちと政治の話をしてつまらなく、かつバカらしくかんじるのは、人びとは政治家の人となりについては滔々と語りたがるが、システムの改善にはあまり興味がないこと。公開講座などの後の会話では、特にそういった印象をうける。


例えば、リーダー待望論なんかが、典型的にそういった発想になる。これはしかし、アフリカや東南アジアの独裁者を strong man だと崇めるような態度、結局は独裁者を創りだす精神性と通底しているようで、僕はまったく好きになれない。


さて、著者のアフリカ社会への評価はひじょうに低い。アフリカ人は未だに勤勉の美徳を体得していないし、まったく法の支配の原理を理解していないので、繁栄する社会を作れないのだという。


日本でも、大学に進学するような理解力のある人がまったくいなければ、果たして民主主義や人権の概念などは機能するのだろうか? おそらくはしないだろうと感じる。どんな政治的な価値観を受け入れるのかは、結局は個人の信条の集合に帰着する。自由の重要性や、私有財産の擁護、民主主義などの価値観は、せいぜいが大学に行くような人たちにしか、本心のところでは受け入れられていないように感じる。


先行する帝国主義的な西洋社会がなかったら、日本は民主主義や憲法をもつ自由な社会になったのだろうか? あるいはマッカーサーに押し付けられなかったら、今の中国よりも自由だったのだろうか?

文化といっても多点均衡があり得るはず。少なくとも、日本では戦後の押し付け後は、それなりに自律的に自由な社会が維持されてきたのだから、まあままとは評価すべきだろう。


しかし、アラブやアフリカに民主主義国家も、先進工業国も、自由主義国家も、科学の発達もない。こうした問題の理由が文化であれ、遺伝的であれ、今後も続きそうであることをあらためて実感させられた。