kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

年初に際してのOximoron

さっき2012年になったが、僕はこうしたことにほとんど興味がないが、皆さん、今年もよろしくお願いします。


友人から「スーパーセンス」という本をすすめてもらって読んだ。


http://www.amazon.co.jp/dp/4772695222/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1325347329&sr=8-1


そこでは、人間は本質的に自然のなかに「神聖」な幻想を作り出し、共同体で崇拝するのが自然な心性なのだ、と書いてあった。ひじょうに納得した。対して、福沢諭吉もそうだったはずだが、僕は神仏宗教、超自然、すべて信じていない。


おそらく僕がリバタリアンである理由の一つには、過度な合理主義、というものがあるだろう。「地球が一回公転したことをとりたてて重要だと感じない」、=「自分の誕生日を忘れる」などなど。権威に意味があるのかを疑う。同じように、僕は神道やその他のすべての宗教が嫌いなので、結婚するまで初詣なんかしたことがなかった。


僕の配偶者は、字画がどうのこうの、箸はごはんに立てるな、机には立つものじゃない、といった、僕的にはまったく非合理的(かつ非機能的な)信念を、僕にも(子どもにも礼儀だと称して)たくさん押し付けてくる。まあ、結局は、こういう不幸な夫婦は、早晩どこかの時点で別居するしかないのだろうww。というわけで、定年過ぎたらどこで、何をやって暮らすのかは、僕の積年の問題だ。


また、僕の子供たちにも近いうちに(常識人的な)人格が顕現してきて、僕の考えは奇妙、偏屈なものとしてバカにされ、うとまれることになるだろうことも間違いない。


普通ではない人はどうやって生きることができるのか? これこそがこの年末年初に疑問に感じたこと=oximoronである。