kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

Autonomy 必要ですか?

リバタリアニズムは,「自由は誰しもが持つ自然権である」とはいうが,では その自由で何をすればいいのかについては語らない.それは,それぞれの個人の価値観に従って,自分で決めるべきだということになる.


科学は「どうすれば,どうなるか?」ということは語るが,で,その知識で何を増大化,あるいは推進するべきなのかは,価値観の問題だとして語らない.それぞれの個人が価値観を持って,決定するべきだという.


どちらも,ワクができるだけ大きくなるようにすべきだというが,その内容がどうあるべきかについては語らない,といえるだろう.それは極めて個人的・主観的ななことなので,触れることはできないし,そうするべきでもない,という考え.


ほとんどすべての宗教は,まったくの反対だ.自然法則についても(勝手に誤りを)語り,何が人生の目的であるのか,についても,大いに語る.


ここで問題にしている各個人に与えられる,あるいは各個人が望むような,「Autonomy=自律性」については,ヨーロッパ人のほうが,より多くを求めるような遺伝配列があるのだろう.科学活動が日本で少なく,中国では自然科学だけでなく,政治から独立した社会科学もまた まったく存在しないことと,自由への希求の度合いの少なさとは,通底するものがありそうだ.


そうすると,リバタリアンが多い社会では,科学が栄えている可能性が高いことになる.果たして,その通りのように見えるのだが,,,



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