kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

まっとうなご指摘 x 2

「ブログは毎日書かないと読まれなくなるよ」と書いたら、敬愛する三原さんから「今はRSSリーダーを皆が使ってるから、そんなこともないんじゃないの?」というようなメールをいただきました。


なるほど、僕もグーグルリーダーを過去に(実は2回も)設定しているが、なぜだか使っていない?? ちゃんと使えば、更新もされていないサイトを見ることもないはず。自分でもなんで使っていないのか、よくわからないので、これからまた使うことにします。


さて、もう一つ、もっと根本的な指摘も頂きました。


そもそも、なんで小金を節約する必要があるのか?


これは さらにもっともな指摘で なるほどそのとおり。ヤセたいと願う人たちの場合と違って、僕が小金を貯めることに成功したとしても、特段のメリットなどはないようにも思われます。


実際には僕の未来の生活は、まあ言ってみれば、薄氷そのもので、あと10年もしないうちに学部が廃止されて失業する可能性だって ずいぶんと高いでしょう。僕のように(人類に知的貢献がまったくないという意味で)人的資本が何もない人間は、会社の倒産に備える必要がある。おまけに、来るべきハイパーインフレで、年金もほとんどなくなるだろうということも間違いなありません。 → 消費を剃る必要は本当は高いのだろうとは漠然と思っているのが一つ。


もう一つは、僕の息子がこのところ、仮面ライダーに目覚めてしまったこと。僕の時代と違って、平成ライダーは、ストーリーとオモチャがうまくconvolveしていて、楽しいは楽しいのですが、おかげで、最近は毎日「あのオモチャが欲しい、このオモチャが欲しい」と子どもがアピールします。これに辟易し、かえって自分自身の生活を見直したいという感じになったことが一つ。


この「あれが欲しい、これが欲しい」というのは、人の人生には永遠につきまとう煩悩です。そういうものは僕もいつも感じて生きてきたことに苦笑す続けてきたのですが、ここにきて、毎日、子どもから強く主張されると、かえって自分のそれにも興ざめになってしまうという逆説 ハハハ ダンシャリ必要ですかなww


ランズバーグなんかなら、「消費は美徳」とミクロ経済学の教科書そのものの主張をするのですが、まあ、凡人の僕は、もう少し、節制、あるいは自己規律のようなものにも内在的な価値を見出しているので、その辺が潔くない = 凡庸です。


まあ、少なくとも子どものライダーのオモチャのぶんだけは、果たして僕自身が節約できれば、よしとするか、という程度で考えているわけです。