kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

寄付にはいろいろあるが、

大震災の義援金ボックスがどこにいってもあるが、これだけの災害になると、今年は他のチャリティにはほとんどお金がいかないことだろう。赤十字でさえも組織運営の費用を引いたあとの額を被災地に届けるのだから、どういった団体に寄付をするのがいいのかは、真面目に考えれば重要な問題だ。

赤十字の職員には、戦前からコネで入っているひとが多いのは事実だ。そういった指摘をしているサイトもあるが、だからといってどの団体がどういった活動をしているのかを知るのは難しいし、義援金を送ることだって、時間的・金銭的なコストがある。とりあえず赤十字に、というのは、当然なのだろう。


これに関して、そういえば、数年前に読んだランズバーグの「more sex is safer sex 」

http://www.amazon.co.jp/dp/4862381596/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1303221917&sr=1-1

で、「真に社会厚生を増進する団体に寄付をする気であるなら、それは一種類であるはずで、多くの団体に寄付をするというのは、自己満を高めることはあっても、社会の幸福にはつながらない」という命題が「証明」されていたのを思い出す。


彼はつまり、「多くの種類の寄付をしている人は、そういう行為によって、自分の道徳性を示すことができるという、自己満足を高めているだけで、本当は他人よりも自分のことを考えているのだ」と主張していたのだと記憶している。


なるほど、自分の寄付金などは小さなものでしかないから、その額がいくらであれ、(あなたの基準がなんであれ)もっとも効率的に社会厚生を増加させる活動に全額を投資するべきだ、という議論は頭では理解できる。各寄付活動の本質的な不確実性を入れても、期待値を考えるべきだということになるだけだろう。


しかし、よく良く考えてみると、この「証明」は、「どの団体がどの程度の社会厚生を増加させるのか」についての完全情報を仮定している。実際の寄付者が、そういったことを調べるのはコストがかかるし、詐欺的な情報も多いから、現実としてはありえないだろう。おまけに、(僕はあまり環境保護には資金を出さないが、)抽象的な可能性としては、自分の判断が間違っているのかもしれない、、、



と色々と考えると、寄付のポートフォリオに多くの活動が入るというのは、(リスク回避的であり)自分の寄付が実際に役立っているという確証をほしい人には、不思議なことではないということになる。大船渡に届くと思って寄付をしたら、リビア赤十字に資金が流れる可能性があるなら、いくつかの違った活動に募金するのも悪くないように思う。もちろん、それは自分の寄付の影響についてのリスク回避だから、自分中心主義ではあるのだが、、、、