kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

オマケの消費者心理

今日、原発で電気が足りないということで、クールビズのニュースを聞いていて、再考したことがあった。

同じ話ばかりで恐縮なのだが、なぜスーツを人々がクソ暑いのに着ているのかといえば、それは「誠実さ」のシグナルを相手に送るためだ。深く考えなくても、30度をこえた日に、冷房をかけながらスーツを着るような「合理的な」理由が必要があるはずがない。


それで、件の友人のポイントカードの指摘を思い出してみると、やはり僕が間違っているということが理解できた。

ポイントというのは、多くの顧客に「トクをした」、「おまけが付いてきた」と感じさせることで、「実際に」効用があるものだ、ということがハッキリ認識できたのだ。もちろん、店舗の負担するコストや、顧客が負担するメモリーのコストを上回る、経済的な価値である。

僕のような「合理」主義者は、どうも物質に還元されない(ように一見して見える)ものを、あまり認めたがらない傾向がある。そのため、商品そのものの与える効果=効用を越えた、ショッピングをする際の消費者心理を「実体のないもの」として、否定してしまうのだろう。(こう考えると、合理主義者=科学者が、多く、共産主義者になり、文化の多くを否定することもよくわかる。反省自省!)

よくよく考えれば、ある女性が化粧をして気分が良くなるのなら、仮に相対的な美の地位は変わらなくても、認知的には意味がある。実際には、化粧の上手い下手があるはずだから、美の相対的な地位は変化しているだろうから、現実の意味もある。

で、それでは僕のような変わり者が、「オレはポイントもらっても面倒くさいから、もらわない」というやつはどうなのか?

そいつは、ポイント管理の心理コストが、ポイントのメリットよりも大きいから、もらわないのだ。これによって、店舗もトクをして、僕もトクをする。しかしそれはあくまで、ポイントカードの発行によって、より割高になった価格を前提にしての話だ。ポイントカードの導入がなければ、僕はもっとトクをしただろう。しかし、それはそれで、石炭をたくさんもっているやつが、石油がなければと嘆くのと同じで、仕方がない。

ただ損をしているだけともいえるが、まあ、そういった細かいことを気にしない、というシグナルだと思えばいいのかもしれない。