こんにちは。
最近はあまり読書しなくなったのだが、ちょっと見つけた「やりすぎの経済学」という本を読んでみた。これは、つまりはタバコやアルコール、あるいは食べ過ぎなどに関する経済学研究をまとめたもの。
非常に正統派の経済学的な視点から、つまり合理主義的な個人が、どのように社会的に望ましくない(と考えられている)ものを摂取するのか??
- 時間選好の動的な不整合性(あるいは整合性)、
- 自分自身の未来の状態に対する知的な理解=認知能力
の異なる個人が、それぞれどのように振る舞うと考えられるのか? そして政府のパターナリズムによる禁止措置は、彼らに対してどう感じられるのか? 正当化されるのか? などについて詳細に論じている。
また多くの実証研究も参照しているので、依存や過剰についての経済学研究のレビューになっている。それは良いんだが、もちろん学者の書くものなので、単純化していないために、ほとんどの人にとっては論理も複雑で、かつ矛盾する実証研究を引用しているように感じられるだろう。こういったことは、一般向けに単純化された本と違って、すっきりした結論がないため、まったく面白くなさそうだ。
さて、経済学という視点は、つまりは個人主義だ。しかし実際には、薬物を禁止しようとする大衆心理とは、集団としての秩序や生産性などを維持したいという心から生じている。個人の効用を高めるかどうかではなくて、集団が他集団と闘争・戦争した際の強さを高めたいという発想だ。
同じことだが、自分の子どもが未来に依存症になったり、あるいは糖尿病になってすることを望む親は(おそらく)誰一人いない。
つまり、集団の利益と、集団を構成する個人の利益は異なっているということ。言い換えるなら、ある個人が食べすぎて健康を害したり、薬物中毒になれば、社会の他の構成員に対する外部不経済を与える。マスクにさえも警察活動があるのだから、中毒になっている個人の効用はさておき、そうした活動が集団として禁止されるのは、人間の歴史とその真理にとっては自然なことなのだろう。
いつものように、ここには個人主義と集団主義の対立・矛盾がある。現代社会では自由は重要だが、それは過去の人間の戦争の歴史と相容れない。また(再び戦争が常態化するような)未来の社会でも相容れないのかもしれない。。。Conandrum...
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