kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

独占的著作権の全廃

Michele Boldrin and David Levine の「Against Intellectual Monopoly」を読んでいる。この本の主張は、パテントやコピーライトが現行制度では、所持者の独占を許している点で、社会の発展と相反するので、独占させるのはやめて、相当な対価を支払えば誰でも利用出来るようにするべきだ、と言っている。

http://www.amazon.com/Against-Intellectual-Monopoly-Michele-Boldrin/dp/0521127262/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1283614561&sr=8-1


著者の二人は著名な経済学者であり、謝辞の部分を読むと、ほとんど著名経済学者一覧といった風だ。僕はこういった本を読むと、本当に日本の学者には根本的なことを考える人がほとんどいないのか、と残念に思ってしまう。法律家や新聞はさておき、どうして日本人経済学者には、著作権(あるいは、その独占権)をやめるほうが、かえって文化や技術の急速な進歩につながるという、ごく自然な直感を持つ人がいないのだろうか?

内容はもう少し、詳しく後日報告するが、「今の著作権は独占的な利用権を許可しているため、むしろアイデアの普及や改良が遅れ、文化・技術進歩を阻害している」ということになるだろうか。


さて、ある国とのFTAの締結するのは、経済学の立場からは無意味だ。比較生産費の理論からすると、相手がどう対応しようとも、こちらは完全移民、完全自由貿易をとるのがベストの対応なのだから。

おそらくは著作権も同じで、諸外国と歩調を合わせる必要などなくて、勝手に著作権の独占的な利用権を廃止して、対価を支払えば、誰でも利用出来るようにする方が、文化の発展を生むということなのだろう。

著作権の独占的な付与が貿易制限と似ているのは、国家の法システムによって我々の一部の人々を豊かにしている反面、長期的には皆を貧しい状態に釘付けにしているという点なのである。