kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

300円のサイフと3万円のサイフ

今日は久しぶりにダイソーに行った。ドンキと同じで、ここもやたらと多くのものが溢れかえっている場所だ。違うのは、さらに安いものと生活に密着したものが多いということになるだろうか。100円のハンコを2つ買った。僕は昔からハンコの大反対派で、なんでサインに変わって、こんなバカバカしいものを契約に求めたり、さらに(開運の印鑑などに)お金を払ったりするのか、という疑問を強く持っているので、100円ショップでたくさん買っておいて、いろんなところにおいておけるのは便利でありがたい時代になったと感謝している。


で、そこにサイフがあったが、値段を見ると300円、400円となっていた。いつもこういう商品を見ると思うのだが、スーパーでは1000円から5000円くらいだし、デパートでは大体が5000円から15000円くらい。ブランド物はさらに上の価格がついているのが普通だが、一体こういった違いになんの意味があるのか?


機能的にはもちろん意味などあるはずがない。おそらくはある程度の品質的な差は、はた目からも感じることができることは間違いないが、それでもおそらくは半年も使えば、10000円のものよりも、新品の5000円の方が見えがいいだろう。そうすると、あとは自分の収入や社会的なステイタス、あるいはファッションセンスをあらわしているだろうと、持ち主自信が感じる自己満足があるだけだ。MEN'S EX なんか読むと、ロロ・ピアーナやオロビアンコ、フェリージの4万円、5万円のサイフの蘊蓄がこれでもかこれでもか、というぐらいに書いてある(笑)。


もちろん、僕はそういった自己満足を否定する気はなくて、むしろそういった心のあり方は重要なことだと思っている。同じような流れで、経済学でも、価値の主観性を強調するウィーン的な考えを好んでいる。


さてしかし、昔、僕が大学に通い始めたいた頃、たしか300円ぐらいの透明ビニールでできた三つ折りの定期入れ、カード入れを使っていたと思う。その後、アメリカでも5ドルくらいのビニールのベルクロどめのサイフで生きていたが、別段それが僕のアイデンティティーを揺るがしたわけでもない。サイフの値段なんかよりも、どっちかというと、僕はカードで団子のように厚くなったサイフよりも、薄いままのサイフがスマートだとは一応感じたりしてはいる。あとは最近はanimal cruelity frre ということで、人工素材は一応選んではいる。


ところで、先日ネットで読んだ漫画を読んでいたところ、「高級レストランでの支払いのさいに、彼が出した財布がベルクロどめで、バリバリいったのが恥ずかしくて、死ぬほど恥ずかしかった!」というのがあって、感慨深いものを感じた。アスキーショップなんかでは、ベルクロのサイフが売ってそうだが、そういったものが女性の価値観といかに離れたものであるのか!!


それはそれで理解できるが、おそらく「自分らしく」という女性好みの言葉は、実のところあまり機能していないように思えて残念だ。