kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

21世紀に放送なんてものが必要なはずないだろう

ラジオ局の運営が難しくなったということで、
インターネットでもサイマル配信をすることになったという。
http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20410618,00.htm

こういったニュースを読むと、なるほどとも思えるが、
そもそもラジオなんかのために電波帯域を確保する必要なんて全くない。


同じことはテレビでも当てはまっていて、
ソニーインテル、グーグルがテレビを作るというからには、
テレビのために帯域を確保する必要なんてのもない。
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20410610,00.htm



家の中で見たりするなら有線で配信すればいいし、
外で見るなら見るで、データ通信にすればいい。
なんで、ミンナが同じものを見たり聞いたりするという前提を変えずに
これからの制度を作るのか?
ちなみに僕は息子とアメリカのNick Jr.というチャンネルをよく見ているが、
これだって日本で見れるならお金を払っても見たいと思っている。
Discover や Disney なんかをあわせて、
すでに世界にはどれだけのコンテンツが存在すると思っているのか?
日本では日本語をみるという考えも悪くもないかもしれないが、
そういった必然性もないだろう。


おまけに電波の利用の特許を得ている業者が、
楽曲の利用に関しても特例を受けるなんてのもおかしい。
fairじゃなかったと指摘する人間がいないのも、またおかしい。



電波帯域を私有財産にするというのもいいだろうし、
あるいは、すべて競売にかければ、
すくなくとも年に10兆円くらいは出てくるはずで、
税金なんか要らないはずだ。
こういった意見が全く聞かれないというのは
まったく体制側に都合がいい「識者」しかいないということなのだろうか。


22世紀のモニター上にチャンネルという概念があってもいいが、
それは今のように実在する特定の放送局が流しているものであるかどうかはわからない。
そういったこれまでの常識を疑う人があまりいないということ自体がヘンだし、
まったくもって不可思議、フシギなことだ。