kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

アナログ放送は終わったが、

中日新聞(ローカルですいません)を読んでいたら、第一面にアナログ停波の話が載っていた。そのなかで、

「最近のテレビ番組は、広告費の低下からだろう、芸人を集めて安く作るバラエティばかりになってしまった。ドラマもアニメも単なるテレビ化をしているにすぎないものがほとんどだ。デジタル化の高画質をいかすようなテレビ番組の質の向上が望まれる」

というような、ありがちの意見が載っていた。

別にそういった意見表明自体はハイソ趣味でけっこうなことなのだろうが、僕がひっかかるのは「広告費の低下 ⇒ 制作費の低下 ⇒ バラエティの増加」という論理が間違っていることだ。


つまるところ、バラエティがくだらないと思っているのは、おエラい新聞社のサラリーマンたちだ。一般の人々が望まないのであれば、ゴールデンタイムが芸人をあつめたバラエティばかりになるはずがない。

さらには、もっと制作費があれば、イッタイゼンタイどんな番組が作れるというのか?


例えばBS朝日でもBSiでも、番組には紀行ものや芸術ものが多い。そういった番組のほうが、芸人を呼ぶ必要がない、あるいは外国から買ってきてふき替えるだけで、より安価につくれるのだろう。だからこそBS波という、地上波よりも人気のないセクターが利用されているのだ。


僕の感じるところでは、「ワンピース」や「もしドラ」が人気があるというのは、才能が多様な分野に散在していることを意味している。テレビ業界が大衆中心であった(僕が幼い頃のような)時代ははるかに去ってしまったということだ。

いつものことながら、双方向通信(通信)、単方向通信(テレビ放送)のどちらがどれだけ、どういった帯域で望まれているのかは市場しか教えてくれない。さらには、僕がいつも見ているようなボロいyoutubeの画像でいいのか、それとも2K4Kが必要なのか? 我々自身も、自分のスタイルにあった電波の活用方法を、市場に向き合う形で問わねば、発見していくことはできない。




こういった説はミーゼスやハイエクなどのオーストリア的な市場活動の理解だが、通信や放送が激変する現代、原発にノーを突きつけたい市民が数多くいる現代にこそ有益な視点なのだ。