kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

”良心ある資本主義”

先日、たまたまアパートのクラブハウスに置いてあった、ベンチャー企業について書いてある雑誌(fast buisinessだったか)を読んでいると、John Mackey について書いてある記事が載っていた。Mackeyはアメリカを中心に1兆円ほど売上のあるWhole Foods Market という食品チェーン店を作って経営している。僕も時々近くにあるWhole Foodに行って、サラダや家族のケーキなんかを買ったりしている。店はきれいでいいが、価格が高いのが難点だ。



で、このMackeyという人は企業の慈善活動に熱心な経営者というだけでなくて、リバタリアンとしても、いくつかの本を書いている。内容をすごく簡単に言うと、「企業は利益をあげるためだけに存在しているのではなく、従業員、納入業者、地域、その他の利害関係者たちのために存在している。これまでの企業観はあまりにも良くないので、これからは「良心ある資本主義 Concious Capitalism」という用語で慈善活動を行う企業観を広めよう」というふうに言えるとおもう。


Mackeyはリバタリアンサイトであるリーズンにも出演しているので、気が向いた人は見てください。
http://reason.tv/video/show/918
 

ところで、彼のコンシャス・キャピタリズムは、M・フリードマンから批判を受けていて、つまり「顧客その他社会全体の長期の利益を考えるというのは、企業利益の追求と本質的に同じであり、単なる言葉の違い、レトリックの差でしかない」というようなものだ。(詳しくは、MackeyとM.Friedmanの論争 http://reason.com/archives/2005/10/01/rethinking-the-social-responsi/ を見てください。)


果たして、顧客その他の利害関係者の利益を考えることが、結局は「自己利益の追求」と行動学的にまったく同じことなのかは、興味深い論点だ。おそらく僕は違うのではないかと、今のところ思っている。例えば、エコファンドのような投資信託商品が今は数多くあって、それらは必ずしも投資リターンの極大化を狙ってはいないようだ。これが本当なら、少なくともどれだけかの投資家はリターンの最大化のみを求めているのではないらしい。Mackeyはそういった社会全体の善を追求するような起業家の活動を、良心ある資本主義と呼んで、世界に広めようと主張しているである。


あるいは企業の社会的責任CSR論と同一のものだ。こういった試みがどの程度成功するのかは、最終的には人々の考え方に依存する。現状に比べて、どれだけかの利益を犠牲にしても、従業員の雇用や、あるいは他の利益を優先するということは、別におかしいことではないと僕は感じている。個人がそういった行為を行うことは当然だが、会社が行うのはおかしい、あるいは間違っているという意見もある。けれども、情報の効率的な伝達のためにはそういったことも別におかしいわけではなくて、あるいは効率的であるかもしれない。


あるいは、今の資本主義では公開株式会社が中心だが、株式を公開しない閉鎖会社が主流になってもっと慈善活動を企業がするようになる、ということも、ありそうにないが、別に完全に不可能だというわけではないだろう。


Mackeyのような起業家は商品を売っているだけでなく、ある意味で価値観の変化を人々に説いているのだ。地球温暖化対策のように、世界的なトレンドになり得るのだろうか?僕はだいぶ疑問に感じるが、今後とも、どうなっていくのか、ぜひとも見てみようと思っている。