kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

CSRとは?

こんにちは。

 

ふつう自動車系の評論家が書く社会ネタは、的外れで面白くないものがほとんどです。しかし、今日読んだブログで考えるところ、興味深かったのはこれ。

 

 

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昔読んだフリードマンの本では、「企業は人間ではなく、単なる組織でしかない。だから企業という組織の目的は利潤の最大化のみであり、そうであるべきだ」と書いていました。

 

 

これはこれで納得できる考えではあるのですが、実際に「でも利潤最大化のためには、企業の宣伝なんかのCSRも含まれるんじゃないの?」と考えると、言うほど簡単ではありません。

 

 

(これはまあ、法学でいう法人実在説vs法人擬制説みたいな論争とも関連していますね。)

 

 トヨタには物理的な体はなくて、それは確かに人間の組織でしかありません。しかし世界中の人々が「トヨタ」という名前、ブランドに対して人間と同じようなイメージを持っていることは事実です。そうした企業がこれからも全世界の人たちから愛され続けるために良き隣人として振る舞う=HVの技術を公開するというのは、善良なる企業市民の理念に適合しています。つまりそれは、合理主義的に言えばリスクマネジメントにも合致している。

 

 

さらに、各個人は組織ではないけれど、実際には組織をアイデンティティにしていることも普通です。そうすると、「悪い企業」とラベルをはられるような企業ではモラールが低下するだろうし、もちろん対外的な取引にも影響があるかもしれません。とすると、CSRは長期的な利益目標にも合致している(場合もある)。

 

 

似たような話では、20年以上前のネットの創世記、マイクロソフトは反オープンソースでしたが、それも今は昔。今では、かなりいろいろなオープンソースに協賛しています。多分、反対にグーグルがどんどん悪者っぽくなってきたことを見ると、人間と同じで、大きくなると企業にも多様な側面が出てこざるを得ないということなのでしょう。

 

 

ということで、おそらく人間一人一人のプログラムされた目標が遺伝子の拡散であるとしても、実際の個人は名誉や利他性、博愛など、一見して即座には役立たない欲望をもって、いろいろな活動をしています。同じように、企業でも短期的な利益だけではなくて、もっと長期に効く(かもしれない)多様な活動を行うことになります。

 

 

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さて、実はこの原理は国家活動にも当てはまるのでしょう。それが個人の自由や利益と対立するから、リバタリアニズムが国家と対立するわけです。これはまた書くこともあるように思います。それでは また。