kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

Challenging Nature

リー・シルヴァーの比較的な近著
人類最後のタブー バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは
は表紙からしてバカバカしい感じになっているが、
原著は「Challenging Nature」であり、イタリアルネサンスの天井画が
神に挑む人間を描いているものだ。
なかなか本を売るというのは大変なのだと思うが、
原著の雰囲気をもう少し残して欲しいものだ。


さて、内容はいろいろで、おそらくは著者がNewsweekその他に書いてきた
多くのエッセイをまとめて出版したものなのだろう。


1、左翼の「母なる自然」の神話
アメリカの右翼はキリスト教であり、中絶を人殺しだとして反対するが、
人間性をどこで認めるのかは、恣意性を逃れないものであり、
胎児の時点でそれを認めるのは意味がない。
同じように、左翼もまた母なる自然という神話を信じる意味で右翼と同じであり、
そこでは、ヨーロッパのgreen movementに見られるように、
遺伝子工学は母なる自然を冒涜する行為として否定されることになる。
しかし、「自然」や「ガイア」のようなものは意識も持たないし、
それに配慮することは無意味である。
どのみち、「母なる自然」は過去に大規模な気候変動を繰り返しており、
生物が大量絶滅しているように、生物に対して「慈悲深く」もない。


2、有機農業にしても、環境にやさしいと主張する左翼は多いが、
有機農業は工場農業よりも多くの面積を必要とするため、
同じ量の食料を作り出すためには、より野生動物の住処を耕す必要がある。
ブタが有機イオウを取り込めないために、ブタの大量飼育が環境負荷が高いのは事実だが、
有機イオウを取り込める遺伝子操作を施したブタは、こういった問題を回避する。
しかし、有機農業支持者はそういった可能性を、根本的に否定しようとする。
同じようにBtコーンなども、単にある種の無脊椎動物に致死的な遺伝子を持つだけで、
人にも有害であるようにいうのは科学的ではないし、そもそも理性的でない。
さらには、アフリカでの飢饉を悪化させ、餓死者を増やしてさえいる。


3、人々は「faith信心」というものを肯定しがちだが、
事実の反証を許さないfaithは、そもそも宗教であり、科学と言う理性的な精神と相容れない。
これはドーキンスのいっていることと同じだし、
あるいは最近ではシカゴの分子進化学者ジェリー・コインも同じことを言っている。


こういった主張は、僕としては納得しているし、おそらくはハードSFが好きな輩には当然だろう。
D・フリードマンがシルヴァーをいろいろと引用するのももっともだ。
しかし、むしろ信仰や精神性、フロイトが好きな人たちには受け入れられないものだと言うことも良くわかる。


さて、僕の感想としては、シルヴァーのいう
「小さなころからの周囲の人々への違和感」というのが一番興味深かった。
彼は幼いころから人々が「魂」の存在を信じることが不思議であり、
違和感を感じ続けてきたという。
そうすると、彼が分子生物学者(アメリカ科学協会の調査ではもっとも信心が薄い)
になることは自然だったのだろうといえる。

僕も同じように、なぜ人々がムーに書いてあるデニケン、あるいは「ホロン革命」、
「来るべきものの予感」などを信じるのかがわからなかった。
僕の絶対的な失敗は、自分自身が文系に進んだことだろう。


文科系というのは、人間社会を対称にするのだが、人間を対象にする人は
霊魂の存在や、あるいは人間の独自性の神話を信じていることが多い。
僕は論理的ではない、という価値判断をすることが多いが、
それが方法的な多元論で納得できるのなら、それでいいのだろうが、
科学とは、そもそも判断基準をベーコン以来の合理性においているために、多元論とは相性が悪い。
特段、不思議でもなんでもないことだが、シルヴァーがプリンストン大学で実際に調査してみると、
人文分野の学生はもっとも多く、その半数がガイア的な、生態系の擬似生命説を信じていると言う。



同じように、faithというのは僕も例えば自分の子どもに対して感じるいるが、
それは確かに懐疑的な意味での科学と相性が良いものではない。
しかし、僕の感じる科学というものが多くの人にとって逆に違和感のあるものであるのは
よくわかっているし、それが大多数からの共感というものを減らすことになる。
こういったところに僕自身の困難があるのだと思う。


というわけで、僕は最近ブログを書かなかったというわけだが、
しかし、twitterじゃないが、つぶやくだけということでも、あながち無意味とまではいえないかもしれない。


明日は多くの人間にとって面白くない、人間の特殊性を否定してしまう進化論を紹介してみよう。